昨年の大晦日、2020年がこんな年になるとは思いもしませんでした。
先が見えない森の中を、必死で駆け抜けたような一年でした。
年末が来て、東京のコロナ陽性者は増え、ますます予断を許さない状況になっています。
しかしそんな中でも、今日こうやって大晦日を迎えられたことに心から感謝したいです。
この一年間、大変だったけど本当に多くのことを学びました。
出来なかったことも多かったけれど、全く八方塞がりというわけでもなく、工夫してどうにかなったことも多かったからです。
個人的にはとりあえず昼間勤めている仕事は失わず、音楽のほうでも9月には大切な受賞コンサートができました。コロナが少し下火になっていた時期でした。受賞コンサートで何を歌うか、zoomで画面共有しながら森朱美先生に見ていただいたことも良い思い出です。
ところで、先週末のお香の会のテーマは「除夜香」でした。
今年一年間に思いを巡らせながら聞いたお香の数は、試香3、本香13の合計16で、これは普段よりかなり多くて、静かでとても贅沢な時間でした。
会の後の茶話会では、除夜に因んだ和菓子が出されました。
この季節に青い和菓子は珍しいなと思っていたら、東山魁夷氏の「年暮る」という絵画がモチーフになっているとのこと。
「年暮る」は、大晦日の京都の街に青い屋根がただただ連なり、そこに静かに雪が降っている、という景色を描いたものだったかと思います。
青い色が染み入るような、とても素敵な絵です。
ゆく年を送る数時間は特別な時間で、好きな時間です。
この世界に生きていることを大切にして、2021年に向かいたいと思います。
昨晩は、内幸町ホールで現代歌曲の本番でした。
「風が・・・」を歌わせていただきました。「風」を題材にした和歌はたくさんありますが、古今和歌集の3首について服部会長が曲をつけられた歌曲です。
そういえば、現代歌曲をやり始めたばかりの頃、この「風が・・・」も歌わせていただきました。あの頃は譜面を追いかけるのに精一杯で、音もところどころ怪しくて、表現まで頭が回らなかったなあ。楽器は歌&フルート&ギターだったかと思います。
今回は、同じ曲を歌&フルート&ピアノです。先週、先々週と2回合わせがあり、フルートとピアノのお二人のことも少し分かって、曲の読み込みも前回に比べるとかなりの進歩です。
丁寧にさらう時間もあり、おかげさまで本番では私なりに充実した演奏を終えることができました。
お客様が少なくてちょっと残念でしたが、東京ではコロナの陽性者も増えてきているので、仕方ありません。コンサートが開催されただけでも感謝です。
仕事帰りの友人たちが駆けつけてくれて、少人数でのプチ忘年会もできました!
前日にチャコットで舞台用の靴を新調しました。今まで7センチの社交ダンス用のヒール靴を履いていたんですが、足の甲がビリビリしてしまって。
ネットで調べると「中高年の女性に多い」とか書いてあってトホホな感じです。
今回は少し低めのダンスシューズに変更。
チャコットは社交ダンス用品の取り扱いを来年2月でやめるらしく、ダンス館も閉店するとのこと。時代の流れでしょうか・・・。いろいろなものがセールになっていました。閉店してしまう前にもっと何か買おうと決心する私。
今年一年で急激に変化した世の中。
来年はどんな年になるのでしょう。
先週は京都に行ってきました。
妙心寺桂春院で声楽コンサートがあり、知り合いの方が出演されたので、GoTo京都も兼ねて見に行ったのです。
コンサートは夕刻から行われたので、それまでは妙心寺の中を見て回りました。
それにしても、妙心寺は広い!
大きなお寺の多い京都の中でも、半端なく広いのです。
石畳で結ばれた寺町には46もの塔頭があるということで、公開されている場所を5ヶ所くらい回っただけで4時間近くかかってしまいました(汗)
「退蔵院」では庭を観たり、お抹茶とお菓子をいただいたり。
ここのお菓子は、「瓢鮎図(ひょうねんず)」(瓢箪でナマズが捕まえられるか、という禅宗の謎かけの水墨画)にちなんだ特製和菓子。
季節によって、中に入っている果物が違っているそうです。そういうのも楽しみのひとつ。
次の、「法堂」と「大庫裏(おおくり)」はガイドさんに案内してもらいました。
法堂の天井画になっている狩野探幽の「雲龍図」がどうしても観たかった。
四方八方どこから見ても龍の眼はこちらを睨んでおり、大迫力です。
写真を撮れないのが残念でしたが、とにかく実物は最高に良かった。
大庫裏はお寺の台所で、200人分ものお食事を作ることのできる鍋釜とそのシステムを見せてもらい、古の食事に思いを馳せました。
「大法院」では、お庭と紅葉を楽しみながら、またまたお抹茶とお菓子をいただきました。
ここのお菓子は栗ようかん。
どこもお抹茶がちょうど良い感じに点てられていて、さすが京都のお寺だと思いました。
このあたりで、そろそろ着付けをしなければならない時間となり、急いでホテルに向かいました。あんなに余裕を持って出てきたはずなのに、着付けがバタバタになるのが謎(困)
「桂春院」に向かうころには日もとっぷり暮れて、降っていた雨も上がり、「着物でお寺のコンサートに行ってみる」という目的もどうにか果たせて、充実した一日となりました。
ライトアップコンサートは、テノール3人の迫力の歌声と楽しいトークを堪能することができ、庭の紅葉も美しい!
お寺とオペラというのは意外と違和感のない取り合わせで、開け放しているので換気も良かったです(笑)
もっと寒くなるとどうなのかはわかりませんが。
茶人・藤村庸軒好みの「既白庵」という、隠し部屋のような茶室も見せてもらえました。かつては、修行の身である僧が詩歌や茶道を嗜むのは禁じられていたため、外から分からないような造りになっているとか。
オペラも茶道も同時にお寺で楽しむことができる時代なんて、貴重なのかもしれません。
先週末は久しぶりに、ホントに久しぶりに、お香の会に参加しました。
この日のテーマは「宇治山香」で、喜撰法師の
わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり
がテーマになっていました。
百人一首でも有名な、古今集に入っている和歌ですが、喜撰法師については生没年など詳しいことは不明。
謎の人物。
会ではまず、試香で、主題に沿って紐づけられた5つの香りがたき出されました。
香りを聞きながら、イメージを広げていきます。
例えば「わが庵は」では「どんな庵なのか」とイメージしてみる。
イメージの仕方は自由ということだったので、庵も含めた周りの風景を思い浮かべてみました。
そうすると、庵は暖かく静かな場所で、ひとりだけれど決して寂しくはなく、ほっこりするような陽だまりがあり、春には菜の花が咲くような場所だなあ、と何故か思ったのです。
同じようにして、他の4つの香りもイメージを広げていきます。
「都のたつみ」に紐づけられた香りは、少し草の香りがし、草の間から見えるのは夏空でした。何故そう思うかは自分でも分かりませんでした。
「しかぞ住む」に紐づけられた香りは、仏間のようなところで静かに瞑想する僧の姿がありました。
本香では5つのうち1つがたき出されるので、それを回答しますが、当たったかどうかより、それまでの思考過程などを楽しむもののようです。
当たらなくても良いと言われましたが、それでも当たると、単純に嬉しいものでした。
最後に参加者全員で、感じたことなどをディスカッションしました。
同じ香りに対しても、ひとりひとりが違う感じ方をしていて、面白いものだなと思いました。
文学と香りを結びつけるという体験も新鮮でした。
お香の後は、茶話会となりました。
手をアルコール消毒したので、せっかく手に付いた香木の高貴な香りが飛んでしまい、ちょっと残念でしたが。
和菓子は、表参道の菊家さん特注の上生菓子で、この日の和歌がモチーフになっています。
なんて繊細な作りなんだろう。
コロナ禍になってから、日本の文化や芸術に、改めて目が向くことが多くなったかもしれません。
春~初夏に出かける機会をすっかり失ってしまったため、箪笥の肥やしになりかけていた単衣(ひとえ)の米沢紬。
紫がかった光沢のある茶色なので、むしろ秋に合うと思い、「10月だけど、まだ暑いから単衣で良いか!」ということで、着て出かけていました。
しかし、このところ一気に寒くなってしまい、さすがにそろそろ袷(あわせ)かなと。
数回しか着ていないのに、単衣の衿が汚れています。
気を付けていても、衿には皮脂やファンデーションの汚れがついてしまうんですよね・・・。
竹久夢二の美人画みたいに首が細くて長い人は、衿は汚れないのかもなあ。
そういう人、うらやましい。
私は首が短い上に、二重あごなので!(笑)
以前テキトーに汚れ落としに挑戦し、かえって染みが広がってグダグダになったことがありました(泣)
でも、今回はYon Tubeを何本も見て勉強した。
特に参考になったのは、「たかはしきもの工房」さんの「趣通信」。
「リグロイン」と「ガーゼ」と「タオル」を用意し、換気扇も回して、やってみました。
着ると見えなくなる下前の隅っこで、テストもしました。
この薬剤はケチらないことがポイントかも。
着物の下に「タオル」をセット。
「ガーゼ」に「リグロイン」を染み込ませ、最初は叩くように、途中から軽く拭くようにしました。
輪染みにならないように境界線をぼかします。
後は1日くらい着物を吊るしておく。
汚れがついて日にちが浅いためか、茶色の米沢紬はキレイになりました。
You Tube、ありがとう。
他の着物もやってみよう。
少し時間が経っている江戸小紋も、だいぶ染みが薄くなり、ほとんど分からなくなりました(と思う)。
四君子の小紋は、表面の汚れは取れたけれど、薄い筋が残ってしまった。
これは古い染みなのかもしれません。
でも、染みをつけるんじゃないかとビクビクして着物を着ないのも、ちょっとつまらない気がするし、そういうことも含めて「この着物の歴史」くらいに思うことにしよう。
自分で手入れするにしろ、悉皆(しっかい)屋さんに出すにしろ、早目にやったほうが良いんだよね、と思った秋の夕暮れです。
先週のコンサートでは、終演後お客様にロビーでのご挨拶ができませんでした。
ホールのガイドラインに沿っているので、これは仕方ない。
でもやっぱり、会える人には会いたいよね、ということで、別の日にご飯を食べに行けた人もいます。
まず、麹町の鰻屋。
純和風の造りで、年配のご夫婦や近隣の会社の偉い人なんかが、静かに鰻重を食べているような老舗。テイクアウトしても良いのだけれど、出来立てをその場の雰囲気と一緒にいただけるのは、やはり嬉しい。
友人と二人でしみじみと「時には外で食べたいよね」と語り合う。
毎年この時期には大学の同期と旅行していたのだ。今年は行かれない。
数日後には代々木公園のイタリアン。
心置きなく音楽談義ができる仲間たちと。
写真は、北イタリアのパスタ「タヤリン」にポルチーニのソース。「タヤリン」は細い平打ちのパスタで、ソースがよくからんで美味しい。
他に食べたお料理も、秋の訪れを感じさせてくれて、ちょっとした旅行気分になった。
そして次は横浜へ。
台風でコンサートに来られなかった友人と飲茶(料理の写真無し)。
コンサートの報告やら何やらで、あっという間の時間。
みなとみらいの観覧車は相変わらずキラキラしていて、街全体が未来都市みたいだった。
こうやって人と会っていってつくづく思うのは、コンサートって単に生の音楽を聴く場所というだけでなく、社交の場所だったんだなと。
いつもよりお洒落をして出かけたり、客席で久しぶりの人と会って休憩時間におしゃべりしたり、コンサートの前後には待ち合わせてお茶を飲んだり、食事をしたりする。
「帰るまでが遠足です」じゃないけれど、全部ひっくるめてコンサートだったんだなぁと。
だから、それが無くなると私たちは寂しいんだと。
9月6日、サントリーホールブルーローズにて、2020年度「国際芸術連盟音楽賞」の受賞記念コンサートが無事に終了しました。
当日は、大きな台風が九州に近づいており、その影響を受けて関東地方も雨風の強い時間帯があったのですが、コンサート前後はどうにかお天気がもちました。
私も元気で舞台に立つことができ、近隣のお客様を中心に、来られた方には聴いていただくことができたのです!
とにかく実現できて良かった!
もうこれだけで充分なのですが、ちょっとだけその日の話を書きますね。
開演前に、20分ほどの短い舞台上リハーサルがあり、久々にホールで歌ってみた私は、感激すると同時に、ホールの響きに自分の声を調整しなければならないことに気づき、大変焦りました(汗)
練習場所がずっと狭い空間だったため、感じ方がだいぶ違うのです。
本番までにはどうにか調整し、ホールの隅々まで声が行き渡る感覚が戻ってきましたが、「時々は広い空間でも歌ってみなければいけないな」と思った次第です。
また、コロナ禍の中でのコンサートは、来るお客様にもそれなりの覚悟が要りますが、陰で支えるスタッフさんたちの苦労も、並々ならぬものがありました。
通常業務に加えて、消毒作業などのコロナ対策業務がいっぱいあるのです。
こんなにたくさんの人たちの協力を得て、整えられた環境で歌える私は何と幸せなんだろう。
でも、こんな対策をしなくても普通に安心してコンサートができる日が戻ってきてほしい。
歌っている間は、その一瞬一瞬が大切です。一曲一曲キャラクターの違いが出せるように、心を込めて歌いました。
伝わっていますように。
舞台上からはお客様が見えるのに、終演後のロビーでご挨拶することは禁じられていました。残念でしたが、これもコロナ対策のため、仕方ありません。
しかし。コンサートの次の日、渋谷をぶらぶらしていたら、なんとお客様のひとりにばったり遭遇!
テレビ局時代からの友人で、まさかこんなところで会うとは、とお互いにびっくりです。
世間話をすることもでき、コンサートの感想も直接聞くことができ、勇気が出ました。
この1ヶ月半は、伴奏者の阿部智子さんに励まされつつ、久しぶりに真剣に音楽に向き合うことができた、楽しくも貴重な日々でした。
コロナ禍の鬱々とした世界で目標を見失いそうになっていた私ですが、もう少し頑張ってみようかな、と思いました。
2020年度「国際芸術連盟音楽賞」の受賞記念コンサート、ついに明日に迫りました。
ホールで行うコンサートに出演するのは、なんと昨年12月の「第九」以来。
同時受賞のピアノの森本加奈さんと半分ずつのコンサートになります。
歌う日常からすっかり離れていた約4ヶ月間。
途中までは、もしかしたらこのコンサートも延期になるんじゃないかと油断していましたが・・・。
6月半ばになってからようやく決めたプログラムですが、初めての曲も含めて、私の大好きな曲ばかりで構成してあります。
前半はどこかに「花」が入っている曲を中心を集め、後半はプッチーニとヴェルディのオペラからアリアを歌うことにしました。
いつか「月」をテーマにした曲のコンサートもやってみたいのですよね。余談ですが。
ところで、コンサートやオペラを実現するには、数多くの試練があります。ロールプレイングゲームでいうと、経験値を上げながら、いくつもの関門をくぐり抜けて魔王の城を目指す、みたいな。
一緒にパーティを組んでいる戦友は、共演者だったり伴奏者だったりするのですが、今回は伴奏ピアニストの阿部智子さんになりました。
いつもは昼間の仕事がギリギリまであるため、急激に熱量を上げてのバタバタの本番もあるのですが、今回は自粛期間の関係もあってか、プログラムが決まってからは阿部さんと比較的ゆっくり合わせができました。
練習の過程で得るものは多く、自粛期間というのも悪いことばかりでは無かったなと思っています。
しかし、お客様にどこまで声をかけるのかは大変迷いました。
結果として、あまり宣伝できなかったかな・・・。
今はただでさえ「新型コロナ」という大きな障壁があるのに、その他にも気を配らなければならないことが数多くあり、さらに数日前からは「台風」まで加わるという・・・。
ホントに明日コンサートは出来るのでしょうか。
舞台に出て行ったら、私はどんな気持ちになるのだろう。
昨日は「ドレス・コード?-着る人たちのゲーム」に行ってきました。
午前中に来週のコンサートのための音合わせをした後、お昼でも食べようかと東京オペラシティに入ったところ、偶然にも友人夫妻とばったり。
待ち合わせたわけでもないのに、この日この場所この時間に遭遇するというのはすごい。どちらかが10秒でもずれていたら、気が付かなかっただろう。
友人夫妻はちょうどこの美術展を観に行くところだったらしい。
友人にも美術展にも引き寄せられたのだと思い、私も気になっていた展示だったので、便乗させてもらうことにした。
新型コロナが拡がってから、大きな美術展はだいたい予約制になっている。思いつきで立ち寄るのが難しくなった半面、時間ごとの人数制限があるから、かえってゆっくり観られたりする。
「ドレス・コード?」は一言で言うと、「変わった服がたくさん展示してある」美術展だった。
展示してある服もそうだけど、見に来ているお客さんたちもなかなか個性的な服装の人が多く、かなり作り込んだファッションの人もいた。
普段着で来てしまった自分が、地味で、まるで工夫が足りない人のようでありました(笑)
見る分にはどの服も面白く、インスピレーションを得ることが出来る。
服は楽しい。
見て回りながら、「今度舞台制作をするときには、こういうアイディアは使えるかも」と頭の隅で考えている自分がいて、今でも私はいろいろと諦めていないのだな、と思うのだった。
先日、久々に着物を着ました。
今年は夏祭りもなければ、花火大会もない。
高校の同窓会もない。
いろいろなことが「ない」のだ。
どこへ着て行く予定もなかったのだけれど、それもなんだか悔しくて、「雪花絞り」の浴衣を仕立ててもらったのでした。
この着物は京都の藤井絞さんのもの。
インパクトのある柄なので、帯はすっきりしたもののほうが良さそう。
今回はリバーシブルの半幅帯にし、お太鼓風に結んでみました。
この半幅帯、前から見ると波のようなあっさりした柄だけど、後ろではバティックっぽい面も出して、遊んでみる。
洋服だと5分で着られるけれど、着物は準備に1時間近くはみておかないといけない。
着物はめんどくさい。
でも、面白い。
せっかくだから、無理やり予定を作って、どこかへ出かけようかと思うのである。
今年のお盆はとうとう徳島には帰りませんでした。
そのため、母方のお盆は、オンライン法要にしていただきました。
私も初体験でしたが、ご住職も初挑戦だったらしい。
こんなことを本当にやる時代が来るとは。
私たちのやりかたは至ってシンプルで。
ご住職の奥様とLINEで友達になり、読経の様子を奥様が携帯で撮影しながら、ゆっくり歩いてくださるというもの(←この辺り意外とアナログ)。
お焼香は奥様が代わりにしてくださったので、そのタイミングに合わせて、こちらでも用意したお焼香をしました。
途中、私の画面がちょっとだけフリーズしたけれど、あちらの映像はちゃんと見られていて、無事に終えることができました!
徳島のお寺と繋がってお盆の行事が出来るなんて、なんだか感動。
コロナが流行り始めてから、オンラインになったものがいろいろあるけれど、その中でもオンライン法要は意外とイケると私は思いました。
「カンブリア宮殿(テレビ東京)」でも築地本願寺の特集でやっていた。
ご先祖様たちは元々クラウド上にいる感じなので、タブレットやスマホからお参りしても違和感が無い(と私は思う)。
もちろん、実際にお墓参りできるともっと良いし、新型コロナ終息の目処が立ったら、四国には帰省したいですが・・・。
東京でゆっくりお盆ができたので、送り団子も作ってみました。
伯母や母はもっと丁寧に丸めていたけれど、私はだいぶバラバラな感じになってしまいました(汗)
それでも、出来立てのお団子はつやつやしていて美味しそう。
8月も半ばを過ぎた。
まだまだ暑いけれど、季節は確実に夏から秋へと変わっていく・・・。
久々に、本当に久々に、美術館に出かけられました。
「美術館に行く」という行為が、こんなに特別なものになるとは。
東京都庭園美術館、開催中の展示は「東京モダン生活」。
年に一度の建物公開展で、旧朝香宮邸そのものに焦点を当てた展覧会です。
写真撮影もOKだったので、貴重な建物内を撮ることができました。
レトロで上品な配色の室内は、壁や床の細やかな細工まで、部屋ごとに全部違う、凝った作りになっており、設計者のこだわりが感じられました。それでいて全体を流れる世界観は統一されている。当時の最高の技術を持って作られたのでしょう。
質の良いものは、時を経ても劣化せず、かえって熟成するのだな、と思いました。
人間もこうありたいものです・・・。
保存状態が良く、テキスタイルがそのまま残っている部屋もあったのは驚きです。
復元となった部屋も、元のテキスタイルがちゃんと額に入って飾られており、建物ができた昭和初期に思いをはせることができました。
個人的には、ロイヤルコペンハーゲンの3匹のペンギンが気に入りました。
めっちゃくっついてる・・・。三密。
このペンギンが展示されている部屋には、フランスのインテリアデザイナー、アンリ・ラパンがデザインした、鮮やかなブルーの壺も展示されていました。
この壷がなんとも素敵なんです。
友人が、この2つと私がたまたま一緒に写っている「奇跡のショット」(笑)を撮ってくれましたので、載せますね~。
何か派手な展示物があるわけではありませんが、落ち着いた雰囲気の館内を、静かに時間が流れていく、というひとときでした。
少しずつまたこのような時間が持てるようになったことに感謝したい。
今年も半年終わってしまった。
目まぐるしく世界が変わったような、それでいて、閉鎖空間に押し込められているうちに時間だけが過ぎてしまったような、なんだか変な半年だった。
6月には緊急事態宣言が解除されて、少しだけ日常が戻ってきた。
完全に元通りになることは、もう無いに違いない。
残念だけれども。
でも、4月や5月に比べると、随分いろいろなことが出来るようになった。
よくご飯を食べに行っている友人の「実物」と2ヶ月半ぶりくらいに会った。
なんだか泣きそうになった。
ちょっと前にZoomでオンライン会議(?)をしたりもしたのだけれど、実際に会うのは全然違う。
その日は、2人でもつ鍋を食べに行った。
ひとりひとりが別々の鍋で、対面じゃなくて電車みたいに並んで、渋谷の夜景を見ながら食べた。
これからは鍋の文化も変わるかもしれないな・・・。
私は、昼間は市場調査の会社で働いているのだけれど、6月には初めてオンラインのインタビュー調査をした。
Zoomの使い方も、自宅にいるクライアントさんとオンラインで会議するのも、全然慣れなかったけれど、オンラインにもそれなりの良さがあると思った。
インタビュー相手が日本全国(海外も?)どこにいても、距離による不公平感が無いし、時間帯とかも相手に合わせられる。
初めて会う人にお話を聞くので、オンラインのほうがむしろ緊張しないで話してくれる人もいるみたい。
緊張しているのは、むしろ私のほうだった。
ただし、調査の準備や、ちゃんと繋がるかネット環境を確認しないといけないので、裏で何人もの人が動いていて、お世話になりっぱなしだった。
なんだか舞台に似ているなと思った。
良いとか悪いとかではなくて、私たちはこの状況に慣れなければならないのだろう。
いつも行っているお店も、テイクアウトと通常営業の両方をやっていて、この危機をどうにか乗り越えようとしている。
店の前には白い紫陽花が咲いていた。
世間がどんなにごたごたしていても、季節は廻っていくのだろう。
新型コロナウイルスが流行り始めた当初は、「そのうち供給されるだろう」と、不織布の使い捨てマスクを、その名の通り「使い捨て」にしていました。
毎年の花粉症シーズンに備えて、我が家にも多少の備蓄があったのです。
今考えると、あの頃はなんて贅沢だったのでしょうか・・・。
そのうち、いつまで経っても、どこにもマスクが売っていなくなり、さすがに焦り始めて、不織布のマスクを「毎日洗って」洗面所に干して、使っていました。
多少問題があるかもしれませんが、無いよりはマシ。
電車に乗るのにも、マスクをしていないと周りの目が怖い。
あまりにも毛羽立ってきたら、廃棄です。
テレビでは毎日毎日、マスクが無いと言っていました。
毎日毎日マスクのことを考えさせられる私たち。
マスクや消毒用アルコールを探すのにも疲弊して、もうどうでも良くなっていたあの頃・・・。
SNSで繋がっていた高校時代の同級生が、手作りの布製マスクの記事をアップしていたのです。
年に1度の同窓会でしか会わない手芸愛好家の友人ですが、すぐ連絡を取りました。
布製のマスクはウイルス対策には甘いのかもしれませんが、不織布のマスクを何回も洗うくらいなら大差ないだろうし、何よりデザインが可愛い!!
まず5枚送ってもらったところ、意外な柄が気に入りました。
写真で良いなと思っていた「薄い紫地に白の水玉」は無難だけどちょっと地味で、「カラフルな恐竜柄」や「野菜柄」が可愛いのです。
マスクの意外性は、着物にも似ているな、と思いました。
しばらくすると彼女から「新柄が出来た」と連絡が入りました。
リクエストしてあった待望の「ヒョウ柄」です!
早速手に入れた私は、嬉しくて何枚も写真を撮りました。
マスクがどんどん派手になる私(笑)
マスクのおしゃれは、お化粧をそんなにしなくても、まあまあインパクトのある顔を作れることが分かりました。
着物と同じで、日本人に合う「藍色の古典的な柄」も気に入っています。
マスクでおしゃれをする時代が来るとは思わなかった・・・。
でも夏は暑い。
ちょうどタイミング良く、彼女から「白レースのを作った」とお知らせがありました。
まだまだマスク生活は続きそうだし、お願いしようかなと思っているところ。
ここ数ヶ月で、世の中はすっかり変わってしまいました。
日本だけではなくて世界中が。
こんなことってあるのだろうか。
東京は、3月後半から週末2回の外出自粛を経て、4月8日には緊急事態宣言へ。
最低限の外出の他は、原則家で過ごさなければなりません。
東京都の累積感染者数は4千人を遥かに超えました。
5月4日には緊急事態宣言のさらなる延長が決定。
コンサートやお芝居をバンバンやっていた年末までとは、全く別の世界になってしまった・・・。
会場が満席のお客様であふれていたのが懐かしい。
本当に無防備に、私たちは、舞台を、音楽を、楽しむことができていたのです。
もう二度と、あんなことは無いのかも。
コロナ以前とコロナ以降で、少なくとも舞台芸術の世界は歴史が変わってしまった、と思います。
オンラインで出来ることもあるかもしれないし、これからは模索していかなければならないのだけれど、私はやはり生の音楽を伝えたいし、生の音楽を聴きたい。
4月と5月に入っていた何本かの本番は、全て中止(または延期)となりました。
特に、念願のタイトルロールを歌う予定だった『トスカ』の中止は残念でしたが、練習場所が使えなくなったことや、緊急事態宣言が出されたことを考えると、中止で良かった。
延期してもいつ沈静化するかは予測できない。私たちがやるような小さな会場でのオペラは、沈静化してもすぐ出来るとは限らないからです。
今は、清潔で安全な毎日が送れること、食事と睡眠が適切に取れること、で精一杯。
音楽活動どころではないです。
そういえば、ここ1ヶ月以上、全く歌っていない。
音楽が無いと生きていけない、歌っていないと生きていけない、とずっと思ってきたけれど、そうでもなかった。
人間は意外とどうにでもなるのです。
普通に生きてはいける。
でも、それで果たして良いのだろうか。
自分はいったい何者で、何のために生きているのだろう。
新型コロナウイルスのせいで、大変な世の中になってしまったけれど、短期間で本当に多くのことを学び、考えさせられました。
当たり前に思ってきたことが、実は有難いことであったことも。
ここ1ヶ月くらいで、世間の状況はすっかり様変わりしてしまいました。
新型コロナウィルス騒動、もう疲れましたよね・・・。
2月くらいからずっと、「ここ1、2週間が正念場です」と言われ続けて、収まらない。
これは簡単には収まらないと思います。
最初のころはめちゃくちゃ閉塞感がありましたが、何だかだんだんこの状況に慣れてきました。
幸いなことに、今のところどうにか日常生活は送れているし、水道の水で手が洗えて最低限の感染予防はできています。
贅沢は言っていられない。
この環境の中で、自分が出来ることをするしかありません。
3月は周りでコンサートやイベントがほぼ全滅となりました。
私は、4月上旬に参加予定だった徳島でのコンサートの中止が決定。
正確には6月に延期らしいのですが、同じメンバーで集まることはなかなか難しいでしょう。
残念ですが、今回は中止で良かったのだ、とホッとしている自分がいることも事実。
徳島の親戚や知人などには高齢者が多く、何かあったら大変だから誰も呼ばないでおこうか・・・と秘かに思っていたのです。
というわけで、まぼろしのコンサートのチラシ写真を載せておきます(涙)
イタリアなど、もっと大変なところもあるのだと思うと、出掛けられているだけありがたいのかもしれません。
疫病が流行った時に仏像を建立した、昔の人たちの気持ちがよくわかる。
いずれにしても、この事態の終息を願うばかりです。
茶道教室に行ったら、マスク着用可で、お菓子やお茶も希望によっては頂かなくても良いことになっていました(驚)
巷で流行っている感染症予防の一環だそうです。
その日は幸い、普通にお点前があり、私はお菓子もお茶も頂きましたが、今後どうなるかわからないなと思いました・・・。
新型コロナウィルスは正体が分からないから怖い。
我々は免疫を持っておらず、感染ルートが判明していない感染者も全国から次々出てきている。潜伏期間もイマイチ分からなければ、治った後にどういう経緯を辿るのかも、まだよく分からないです。
この一週間くらいで事態は刻々と変わり、あっという間にいろんな行事やイベントが延期や中止になりました。
私の周りでも、コンサートが中止になったり、中止まではいかなくても入場前にマスク着用と手の消毒が義務付けられたりし始めました。
でも、マスク売ってないよ?
3月にイタリアからコレペティ(歌劇場などで歌手にピアノを弾きながら音楽稽古をつけるコーチ)の先生が来日する予定になっていたのですが、延期になりました(涙)
今の日本のはっきりしない状況だと、ヨーロッパの人たちが来られないのは当たり前だと思う。
でもここにきて、北イタリアでも感染者が。
洋服を買いに行ったら、お客さんは明らかに減っている、と言っていました。
対面販売の人たちは皆マスク姿。
タクシーの運転手さんもマスク姿。
これから、もっと思わぬところで影響が出そう。
早く沈静化して、また普通の生活が送れますように。
たまたま立ち寄った寺院の境内には、いつもの春と同じように、静かに梅の花が咲いていました。
①先週の日曜は、楽しみにしていたイベント、目黒雅叙園の「ひな紀行」に友人たちと出掛けてきました。
今年のテーマは「出雲・因幡・萩」。
新しいお雛様は豪華絢爛で、古いお雛様には歴史と思い入れが感じられ、どれも素敵でした。
今年からどのお部屋も写真が解禁になったので嬉しい(フラッシュは作品保存のため禁止)。
部屋いっぱいに飾られた「座敷雛」は特にすごかったです(写真2枚目)。
炭鉱王の邸宅での雛飾りを再現したらしい。
これは出すのも片付けるのも、大変だわ~。
しかも、神話や民話の世界があちらこちらで展開されており、ヤマタノオロチがいたり、竜宮城があったりで、もうすでにお雛様の域を超えている。
例年「ひな紀行」は外国人も多くて人気の企画ですが、今年は意外と空いていたような気がします。
②そして2月18日は「雨水」の日だったので、我が家のお雛様も出しました(写真3枚目)。
子どものころ両親が大阪で買ってくれて、ある時期からは伯母がずっと預かってくれていたものです。
東京に持って来るときにメンバーが解散したため、お内裏様とお雛様だけになっていますが、出して眺める度に何とも言えない、懐かしく幸せな気持ちになります。
関わった人たちの「思い」のようなものが宿っているのかも。
金屏風を誤って捨ててしまったため、代わりにゴールドのショールで勘弁してもらっています。
土曜日は高松高校同窓会の神田会。
新橋で「餡餅雑煮」の会でございました。
「かおりひめ」さんの2階に90名以上の人々が集結し、餡餅雑煮を始めとする香川県のソウルフードに舌鼓を打ったのであります。
餡餅雑煮はもちろんのこと、しょうゆ豆も、刺身も、さぬきおでんもどれも美味しかった!
でもおでんに辛子味噌(白みそ)が付いていなくて、ちょっとさみしかったよ。
この日は着物で参加してみました。
赤の大島紬に、紺色の名古屋帯。
久々に着ると、着付けにかなり手間取ってしまい、ちょっと、もっさりした感じになってしまったけれど、まあ良いか。
着物を着て出かけることに意義があるのだ(笑)
「着付けはスポーツや楽器の演奏と同じ」とおっしゃった方がいましたが、そのとおりで、しばやくやらないと勘が鈍るのかも。
最後に少し歌わせていただきました。
和服だったので、日本歌曲が良いのではと思い「宵待草」と「遥かな友に」の2曲を。
「宵待草」を作詞した竹久夢二の絵のような、たおやかな日本美人を目指したのですが、現実は程遠い。
「着物を着ると益々の貫禄ですね!」と私より体重のありそうなD先輩からも言われてしまうのだった・・・。
2009年から使っているブルーレイレコーダーがとうとう壊れました(悲)
録画した画像や音声が乱れるのは、どうにか我慢していたのですが。
「予約を中断しました」というさみしいメッセージと共に、長いオペラが序盤で切れていた時には、立ち直れませんでした・・・。
基盤やら何やら替えなければならないらしく、買ったほうが安いらしい。
10年前のだから、そもそも部品が無いのかも。
・・・というわけで新調しました。
10年間頑張ってくれたレコーダーよ、ありがとう!
毎日毎日酷使している割には長持ちしてくれたよ・・・。
接続コードを繋ぎ替えながら、レコーダーに話しかける私。
新しいレコーダーでは高画質の「4K」が見られるのですが、うちのテレビがまだ対応していないので、画質は地デジぐらい。
でもチャンネルが増えた。
4Kのテレビは高いし、大きくて重たいので、もう少し待とう。
壁にペロッて貼れるような、薄いスクリーンみたいなテレビがあると良いのに。
家電の重さが負担になるトシになってしまったよ・・・。
そういえば、今では当たり前になってしまったけれど、初めて地デジを見た時は感動ものだった。
それまで「テレビ番組はコンテンツ次第」と言い続けてきたけれど、画質も重要だと思った。
今回はテレビは替えていないけれども、レコーダーが新しくなって何となく画質も良くなったような気がします。
錯覚?(笑)
諸事情あり、この一週間は食事制限を言い渡されていました。
アルコール類はもちろんのこと、食物繊維の多いもの、肉類、油物、香辛料、カフェインも禁止。
アルコールは付き合い程度(?)でしか飲まないので一週間くらいどうってことはないですが、野菜や海藻、豆類は好物なので、そこが辛かった。
消化の良いものを、ということで、お粥、うどん、豆腐、卵、白身魚をぐるぐる繰り返し食べるという、時代に逆行した糖質中心の食生活(笑)
その中で何かバリエーションが付けられないか、毎日考えていた。
レトルトのお粥や雑炊は、友人が持ってきてくれたり、自分でスーパーを物色したりして、かなりの種類が集まった。
日本で売られているレトルトお粥は、どれも良く考えられていて、美味しい。
災害時にも役立ちそうだ。
食べ比べしながら、そう思った。
週末には渋谷に新しくできたビルに上り、長蛇の列ができているうどん屋で、きつねうどんを頼んでみた。
おしゃれで大きな器に、高級パスタのように盛り付けられたうどんは、私が雑に茹でたうどんとは別物だった。
せっかくなら、誰かと来て、違う種類のものも食べたかった。
普通に食事が出来ている毎日は、貴重だと思う。
いつもは忘れているけれども。
せっかくの機会だから、生活全般を見直さなければ。
2020年になりました。
何十年か(?)ぶりに抹茶を購入し、お正月に薄茶を点ててみました。
茶道はもうやらないだろうと思っていたので、徳島の家を片付けたときに、伯母の茶道具などは全て処分してしまった。良いものもあっただろうに、残念なことである・・・。
東京の家にはお稽古用の道具が2つ3つあるだけで寂しいが、これで最小限のことはできる。
その中にあった、謎の茶碗。
誰からどういう経緯でいただいたものかは不明だが、側面に「昭和五十九年甲子」と書いてあるので、ちょうど36年前の子年のもののようだ。
伯母が初釜か何かでもらったものだろうか。
和菓子は、新年を祝う「花びら餅」にした。
みそ餡と甘いゴボウが求肥の中に入っている。
1個500円くらいするが、私は好きである。
お正月なので良いことにする。
和菓子には季節感が小宇宙のように閉じ込められている、と思う。
昨秋から、時たまであるが、茶道を再開してみた。
縫物をするとき、茶道をするとき、母にも伯母にも教わっておけば良かったと思うことばかりである。