2021年も残すところ1時間ほどになりました。
今年もコロナに振り回された1年になってしまいました。もう2年間くらいこんな感じですかね。2020年に比べると少し付き合い方も分かってきたかな・・・と思っていたところ、オミクロン株とかいうまた新しい変異株が出来て。
来年1月2月辺りのコンサートへの影響も心配ではありますが、たいしたことないかもしれないし、予測できないことを心配してもしようがないので、とりあえず平常運転で進めていこうと思います。
もうお祈りするしかない・・・。
年末は駆け込み(?)の忘年会が立て続けにありました。先はどうなるか分からないから今のうちに会っておこう、というやつです。
そんな中、オペラの企画の相談もあり、こんな時期でも人は将来のことを話し合うのだなあ、と妙に感心してしまいました。
前進する人々に幸あれ!
今日は大晦日。
いつもは鴨せいろ蕎麦なんですが、雪がちらついて寒かったので、温かい海老天そばをいただきました。
身体にしみわたる。
そして空は冬の色。
静かに2021年が暮れていきます。
2021年の冬至は12月22日。
あっという間に冬至を過ぎてしまった。
年内にもう本番はないので、来年の演奏会に向けて、曲を仕上げているところである。
(あ、年末にオーディションがひとつあるけれども。)
一昨日もピアニストさんと一緒に、ある会場で稽古。2時間ほどで終わったので、受付に行くと、「予約のお名前を見て、今日は良い声が聴けるなあ、なんて喜んでいたのですよ」と言われてびっくりした。
そんなふうに思ってくれている人がいるなんて。人に聴かせることを想定して練習していなかったので、ちょっと恥ずかしかったが、嬉しかった。
新しい施設は完全防音になっているところもあるが、昔ながらの会場はそうなっていないのだ。
そういえば以前も別の練習場所で、警備の人から「良い声が聴けた。自分は音楽のことはよく分からないのだけれども、以前に海外でオペラハウスに行ったことがあって、その時みたいな感じだった」と声をかけられたこともあった。
どんな状況であるにしろ、聴いた人が少しでも幸せになれるなら、なんと嬉しいことだろう。
もちろんオペラは声の良さだけで勝負できるわけでもないので、発声とか、ディクションとか、音楽づくりとか、解釈とか、歴史的背景とか、演技とか、容姿とか、・・・もう考えただけでも気が遠くなるほど、いろいろな要素が必要なんだけれども・・・。
所詮、この声も、身体も、神様からの借り物だと思う。
私の努力だけでどうにかなるようなものでもない。
でも努力をし、研鑽は積まなければならない。
そして時が至れば、いつかお返しするときが来るのだろう。
それまでの間、自分を幸せにし、周りの人も幸せにすることができるなら。
夜が長い日々、年末が近いから既に振り返りモードに入っているのか、静かにこんなふうに思っているところ。
11月下旬、島根県の隠岐の島まで行ってきました。
久々の飛行機を乗り継ぎ(羽田→伊丹→隠岐)、午後3時ごろ、どうにかこうにか隠岐の島に辿り着く。が、よく調べてこなかったため、島内での移動手段が不明。
メインの目的は、次の日のオペラ「愛の妙薬」だったのですが、関係者は準備に忙しく、とても私の相手をしている暇はなさそう。
私が、ホテルの気さくなお姉さんに「ローソク島というのだけは絶対見たい」と言い張ったため、タクシー会社に相談してくれて、「まずローソク島を目指し、その後、夕刻の西海岸線をタクシーで南下してくる」ことになりました。
ひとりで乗るのはちょっと贅沢だと思ったけれど、周りに誰もいないし、まあ良いか。
ガイドブックなどでは、ローソク島に夕日が灯る写真をよく見かけるのですが、これは遊覧船に乗らないと撮れない写真らしく、遊覧船は4月~10月までしか運航しておらず、しかも100%撮れるというものでもないらしい。
今回は、遠くにローソク島が見られて、海辺ではタクシーの運転手さんに小さな黒曜石を拾ってもらいました。
それからはひたすら西側の海岸線を下ってきたのですが、「油井の前の洲」という場所の、水平線に沈む夕陽は、それはもうカレンダーレベルの美しさ!
若き日を過ごした瀬戸内海の夕陽がずっと好きだったのですが、日本海の夕陽もまた素晴らしいです。夕陽だけを集めてある写真集があるけど、分かるわ~。
この日は特に天候に恵まれ、何もかも忘れてただひたすら感動しました。
さらに海岸線を下ると「那久岬」に着き、このあたりまで来ると夕陽が真っ赤になって、今にも水平線に溶けていこうとしている光景が見られました。
いろいろと辛いことや釈然としないこともある毎日ですが、そういうことも、もういい。
自然は偉大。
次の日は早起きして、ホテル近くの海辺を散歩したり、「玉若洲命(たまわかすみこと)神社」まで片道30分くらいかけて歩いて行ったりしました。隠岐は「神々の島」と言われるだけあって、それはそれはたくさんの神社があるのですが、後から聞いた話によると、「玉若洲命神社」にお参りするだけで隠岐の神社をすべて回ったことになるらしい。偶然とはいえ、なんて便利なんだ。
あと、魚介類は、お刺身でも煮ても焼いても、すべて美味しかったです。
唯一ひとりじゃなくて他の人たちと一緒に食べた海鮮丼を載せておきます。
あの夕陽をまた見るために、そして隠岐の日本酒「高正宗」を片手にあの新鮮な魚介類を味わうためにまた行ってみたい。なんだか懐かしいような場所でした。
まず茶道では、風炉から炉の季節に。
11月は、茶道でいうところの「お正月」なので、華やいだ、ちょっと正式な気分になる。
照柿のような色の色無地を着て、半年ぶりの炉の濃茶を点てに行った。
軸は「開門 落葉多」。
「聴雨寒更尽 開門落葉多」(あめをきいてかんこうつき、もんをひらけばらくようおおし)の後半部分で、意味としては「雨の音を聞きつつ寒さに震えながら、山の中で一夜を過ごしたが、夜が明けて門を開いてみると、見渡す限り落ち葉に覆われていた。雨だと思ったのは落ち葉の音だったのね」みたいな感じ。
晩秋の静かな情景ですね。今でいうとソロキャンプみたいなやつかな~(謎)
二つ目は家の障子の張り替え。
以前は自分で張り替えたりしていたのだが、今回は業者さんに頼んでみた。
障子のところだけ、お正月が来たみたいに、すっきり明るくなった。
本格的な寒さが来る前に、いろいろキレイにするのは良いかもしれない。
三つめは来年2月の自主企画コンサートの準備。
私の主催する団体のではないけれど、今まで培ってきたノウハウが役立ちそうなので、協力を申し出た。もちろん私も出演します。
「演奏だけに集中できる」という点では、音楽事務所からご依頼をいただくのはラク。
しかし今回みたいに、企画段階から関わって構築する自主企画には、別の楽しさがある。
大変なことも多いけれどね・・・。一緒にやる人しだいかな。
既に会場が取れている、ということなので、先日ご挨拶と下見に行ってきた。
少し古いけれど、雰囲気のある会場で、場所も都心で便利だし、そんなに広すぎも狭すぎもせず、声楽向きだと思う。
ピアノのリサイタルを聴きに何度かお邪魔したことがあるが、響きも良かった。
ステージ上には、今の季節ならではのクリスマスツリーがしつらえてあり、「ここでクリスマスコンサートもいつか企画してみたいな」なんて思うのだった。
よし、少し元気になってきた。
できる時にやっておこう。
この時期にこういう話が来るのは、神様の「やってみたら?」で、オススメなのだ、たぶん。
10月に入り、やっと緊急事態宣言が解除になった。
10月7日夜には関東地方で地震があるなど、新型コロナ以外にも不安なことは起こるものだけど、やりたいことは合間を縫ってやるしかないし、行きたいところには工夫して行くしかない。
地震の次の日、知人の出演するオペラを見るために伊丹まで行ってきた。
500席くらいの、良く響く感じの良いホールで、1階席はほぼ満席だった。
舞台には2段に設営された大き目の台だけがある。そこを中心に照明によって場面の違いを表現する、というシンプルな演出だった。
合唱は人数を抑えてあり、キャストどうしも距離を取り、触れる可能性のある場面では手袋をするなど、感染症対策にはかなり気を遣っているようだった。
練習中も抗原検査を毎日行っていたとのこと。
見ながら、「コロナが落ち着いたとしても、舞台は完全に元通りというわけにはいかないだろうな」とぼんやり考えていた。
オペラ公演は、ただでさえ準備の段階から予想外のことが起こるというのに、これにコロナ対策まで加わるのかと思うと、運営する側としては気が遠くなりそうである。
全員が揃って本番が迎えられるためにはどれだけのハードルがあったことだろうと思うと、無事にこの日が迎えられた主催者や出演者に敬意を払うと同時に、とても羨ましくもあった。
あくる日は、京都に出向き「風俗博物館」に向かった。
「源氏物語」や「枕草子」「竹取物語」の装束を、実物の約4分の1でお人形に着せて展示してある。
先日の「香の会」で、「砧を打つ」というテーマが取り上げられ、この風俗博物館が話題に上っていたので、是非とも行ってみたいと思っていた。
布を叩いて、柔らかくしたり皺をのばしたりするのが「砧」というものらしく、和歌にも詠まれている。
今は「アイロン」っていう便利なものがあるんだけれど。
平安時代の装束は優雅で、文様や色合いも飽きない博物館だった。
演奏会に出演したあと、熱が出た。
38.3度である。
2度のワクチン接種は終わっているし、このところ忙しかったから疲れが出ただけだろうとは思ったけれど、熱が出るのは心配である。しかもやたらと脈が速い。
不安な気持ちのまま眠ってみたが、あまり状況は改善しなかった。
このような場合、どうするべきなのだろうか。
そうだ、何かのフローチャートみたいなやつで見た、まず「かかりつけ医」に電話だ。
そう思った私は「かかりつけ医」に電話してみたが、受付の人が言うには、発熱外来は予約でいっぱいなので「東京都発熱相談センター」に相談してみてほしい、とのことだった。
ちょっとがっかりしたが、凹んでいる場合ではない。
次は「東京都発熱相談センター」に電話だ。
「東京都発熱相談センター」はなんと24時間対応している。
症状等の聞き取りがあり、郵便番号を言うと、近所で対応してくれそうな病院を3件紹介してくれた。そして病院に電話をする際の注意事項も教えてくれた。
電話の向こうの見知らぬお姉さんに感謝である。
私はすぐさまパソコンを開き、それぞれの病院の専門とネットでの評判をざっくり調べて、今後ずっと通うことになっても信頼がおけそうな順に順番をつけた。
次は、この中から一番良いと思う病院に電話だ。
選んだ病院は、とても対応が良く、指示が的確だった。
家からも公共交通機関を使わずに歩いて行ける範囲にある。
指定された時間に行くと、全員が防護服に身を包んで待ってくれていて、ちょっと動揺したけれど、2種類の検査へ。
(病院によってどんな検査をするかは、違うらしい。医師の判断による。)
一つ目は「抗原検査」で、鼻の中に綿棒を入れて粘液を取るものだった。
これは現在感染しているかどうかを調べる簡易検査で、15~20分くらいで結果が出る。
精度はPCR検査より劣るが、早く結果を知ることができるので、その後の行動予定が立てやすくなる。
二つ目はいわゆる「PCR検査」で、試験管に唾液を一定量溜めて、検査に回す。
検査できる機関が限られているため、結果が出るのに1日以上はかかるらしい。
「抗原検査」の結果は陰性だった。
でも「PCR検査」の結果が出るまで、外出は控えるように言われ、薬局にも行かなくて良いように、待っているうちに薬局の人が薬を届けてくれた。
このようなシステムが出来上がるまでには、幾多の試行錯誤があったことだろう。
政府のコロナ対策には批判もあるかもしれないが、誰がやっても初めてのことだったのだから、日本は良くやっているのではないかと思った(あくまでも個人の感想です)。
何よりも、現場で対応してくれる人たちに接してみて、胸熱である。
その後連絡が来て「PCR検査」の結果も陰性だった。
とりあえず良かった。一緒に舞台に上がったメンバーに迷惑をかけなくて済む。
熱が完全に下がるまでにはさらに2~3日かかってしまったが、喉の痛みも取れてまた歌えるようになり、現在は平常運転に戻っている。
そして今日で9月も終わりだ。
「和のあかり×百段階段」。
目黒雅叙園の百段階段を使った催し物の中では、3月の「ひな紀行」と並んで私の好きな展覧会です。
見に行ったのはちょっと前のことになるのですが、やはり素敵なイベントだったと思うので、書くことにしました。
昨年2020年は中止になってしまったので、2年ぶりの開催となります。
この展覧会、とにかくどこを撮影しても綺麗。
SNSに挙げる予定がなくても、どんどん写真が撮りたくなり、スマホが「和のあかり」でいっぱいになります(笑)
この2年間で減ってしまった「美しいものを見に行く」という経験が、多少なりとも満たされる。
折り紙の森に迷い込んだような最初の部屋は、床にオブジェの光が映り込み、涼しげな湖のよう。
次の部屋は、かぐや姫がテーマ。
もともとゴージャスな雰囲気の漁樵の間ですが、朝顔のような色合いの和傘、豪華絢爛な打掛、七夕飾り、長持(ながもち)の中の「蓬莱の枝」と、昔話の世界が一気に再現されます。
えーっと、かぐや姫が所望した宝物は「蓬莱の枝」と残りの4つは何だっけ・・・。
とかいろいろ考えながら、階段を上ります。
途中の階も、光と影が織りなす、懐かしいような温かい光に癒されながら、ゆったりと鑑賞することができました。
最上階は、山口県柳井市の「金魚ちょうちん」に壁一面が埋め尽くされていました。
「金魚ちょうちん」は「和のあかり」の常連のような気がします。が、良いんです!この金魚ほど、このイベントにふさわしいオブジェはないのだから。
一匹だけ「東京2020」のエンブレムが入った紺色の金魚ちょうちんが寂しげに飾られていて、過ぎ去った今年の夏にしみじみと思いを馳せました。
また日本全国自由に旅できるようになると良いなあ。海外の人にも「和のあかり」を楽しんでもらえるようになると良いですね。
一昨年と比べると、大掛かりな展示は減ったように感じましたが、音だったり、香りだったり、風だったりと、五感を刺激するような内容はさらに充実していると感じました。
コロナ禍であっても充分な対策を取って、このようなイベントを開催してくれる会場に感謝したいと思います。今年は見られて良かった。
先週ファイザーの2回目を打った。
数日間だるさや眠気はあったものの、発熱は無かったため、「これくらいの副反応だったら、年1度くらいのワクチン接種なら、余裕でいけるかも」と思っているところです。
そんな矢先、「ファイザーの抗体は3ヶ月後に4分の1になる」だのいう記事が。
(それでも高い予防効果はあるそうです。そのあたり、もっとしっかり言ってほしい。)
どのくらいの間隔で追加接種することになるのだろう。
そのうちファイザー5回目とか6回目とかいう日が来るのだろうか。
まあ、コロナもワクチンもわからないことだらけだし、2回目まで終わっていない人がまだまだたくさんいるわけだから、先のことを考えても仕方ないよね・・・。
ワクチン打った後、だるくなっただけではなく、やたらとお腹がすくような気がする(謎)
発熱に備えて、スポーツ飲料の他、すぐ食べられる食料や冷凍食品、アイスクリームなどを買い置きしてあったので、発熱しなかったけれどそれらを次々食べている。
体重が1キロくらい増えてしまった。
なんでもかんでもワクチンのせいにしたらいけないんだけど。
先週は、昔からお世話になっているピアニストの前田勝則さんがリサイタルを開くというので、豊洲シビックまで出かけて行った。
スクリャービンの「幻想ソナタ」やラヴェルの「クープランの墓」、ショパンの「スケルツォ」といった洗練されたプログラム。
熟練した演奏者の生の音楽は、細胞ひとつひとつに染み渡る気がする。
ホールの舞台背面に見えるレインボーブリッジなどの夜景と相まって、都会の夜をドライブしているような、浮遊しているような、素敵な音楽の夜だった。
新型コロナワクチンの2回目である。
周りに聞き取ったところ、モデルナを打った友人はだいたい熱が出ていて、ファイザーはまちまちだった(あくまでも私の周りの話です)。
副反応については、「あるかもしれない」と考えて、準備しておいたほうが良さそうである。
熱が出ると買い物には行きにくいだろうし。
というわけで、スポーツ飲料、おかゆ、すぐ食べられるゼリー、冷凍食品、カップ麺、そしてなぜか間食用のお菓子なども買い込み、氷枕、保冷剤も冷凍庫からすぐ出せるように用意して、いざ病院に出発である。
当日と翌日、会社の休みも取った。
万全の態勢である。
私はファイザーで、1回目と同じ病院。
親切な看護師さんから「当日の夜から翌日にかけての副反応が多いこと。熱が出たらカロナールを服用、腕が痛かったら保冷剤にタオルを巻いて冷やすと良いこと」などを聞く。
打ち終わったら15分間は椅子に座って様子見。
接種は1回目よりさらにスムーズに進んで問題なく終わり、会社には行かなくて良いので、ワクチンを2回打った自分へのご褒美(?)として、フルーツパーラーでケーキを食べることにした。
なんだか頭がふわふわした感じがする。
その日の夜は何事もなく過ぎたが、明け方3時ごろ、胃の不快感と熱っぽさで目が覚めた。
気持ちが悪く、寝苦しい。
熱を測ったが、熱は無い。
これが副反応と言えるのかどうか、不明だった。
結局寝たり起きたりで、身体は重く、だるかったが、1回目と同様で発熱することは無かった。
翌日は午前中だらだらしていたが、午後2時にブルーインパルスが飛ぶというので、見に出かけた。
曇りがちな天気だったけど、ブルーインパルスはきれいに見えて、「今日からパラリンピックなんだな」としみじみと思った。
不思議な時代に生きているものである。
体調が悪いとワクチンは打てない。
仕事のスケジュール調整もあり、前後を考えて組まないといけない。
とりあえず2回接種できて、かなりホッとしている。
今年のお盆も四国には帰省せず。
リモート供養(棚経の中継です)をお願いできるお寺には、無理言ってお願いしてみた。
やり方は昨年と同じで、ライン電話に画像付きで。
昨年の今頃は、「一年経ったら状況が改善しているに違いない」と思っていたけれど、これには何の根拠もなかった。
世の中的にはワクチン接種がだんだん進んできたので、「今年の夏はどうにかなるかも」と思っていたけれど、デルタ株とかいう変異株が流行り、状況はあまり改善しなかった。
3月に徳島で法事をしておいて良かったのだ。
何でもやれるときにやっておかないとダメなのだ、と学んだ。
時間にゆとりがあった今年のお盆は、
迎え団子→御霊供膳(おりょうぐぜん)を毎日供える→送り団子、とフルコースでできた。
霊供膳は精進料理でなければならないので、動物性の食材が使えない。
ちくわやハムが使えないばかりか、出汁もこんぶ出汁でないといけない。
料理はあまり得意ではないのだが、工夫してきれいにできると嬉しかった。
差し迫った歌の本番もない。
会社の仕事も自宅作業だった(しかしやる気が出なかったため、報告書は全く進まず)。
お天気は悪くて、外は荒れていた。
あまり出掛ける気にもならなかった。
静かに灯明をともし、先祖供養ができたのは、意外と良かったりした。
今年のお盆は帰省を諦めた。
東京の感染者数が5,000人を超えてしまい、帰省するのも気が引ける。
三連休のお天気はイマイチだったし、都内で過ごそうということになり、友人と久々に六本木ミッドタウンに出かけた。
浴衣を着て出かけようという要請が友人からあり、OKする。
夏の着物は、着ているほうは暑いが、見ている人を涼しくさせ、やはり風情がある。
見ている分には、着物は夏が一番好きかもしれない。
こんな機会でもなければ今年は着なかったであろう、竺仙のホオズキ柄の「松煙染小紋」を出してみた。
渋い。松煙染小紋は色が渋い。
合わせるのは紺色の博多の紗献上にしようか、黄色の格子の麻帯にしようか迷ったが、黄色でいくことにした。
まず地下の「虎屋茶寮」で、浴衣の展示を少し見て、和菓子と抹茶。
私は「松葉牡丹」、友人は「夏の野」を注文。
とらやの和菓子は安定の美味しさで、見た目も美しく、抹茶も美味しかった。
最近は茶道教室でも(コロナ対策のため)その場で抹茶が飲めなくなっているので、こういう時間は嬉しい。抹茶は免疫力を高めると言われているから、飲んだほうが良いと思うのだが。
地味な夏休みとしてはこれだけでも充分なのだけれど、サントリー美術館にも行くことにした。
「ざわつく日本美術」という表題で、よそ様から借りてきたものではなく、すべてサントリー美術館の所蔵品を、切り口を工夫してうまく展示してあると思った。
たとえば「ふた」を見せて「この本体はどんな感じのものだと思います?」とか、普段は上からしか見ない器を「これは裏から見るとこんなことが書いてあるんですよ、おしゃれ~」とかいう方法である。
(一部を除き)写真撮影可という太っ腹な美術展だったので、装束好きな私は能装束を中心に写真に撮りました。精緻な手仕事にうっとり。
ミッドタウン内にあるガチャガチャ(カプセルトイ)を引いたら、可愛い「招き猫」が当たった。
「日本の縁起物」というシリーズで、張り子でできており、小さいながらも良くできた作りである。
今年の夏はこんな感じで、都内で静かに楽しく過ごしていこうと思っている。
打つ前の日。行きつけの薬局のお姉さんから「水分補給はこまめに、多めにとってください。(筋肉)注射のときは、腕の力は抜いて、だらんとすること」とアドバイスをもらいました。
そして昨日の午後。ついにファイザーの1回目を接種。
私の接種会場は総合病院で、たくさん来ているものの、受付から接種まで30分程で進み、なかなかスムーズでした。打ち終わってから様子を見るために15分くらい休憩します。目の前で具合が悪くなっちゃった人がいて、ちょっとドキドキ。
既に2回目を打ち終わっている人も周りにいるので、接種自体珍しいことではないのだけれど、私としては「新型コロナのワクチンを打った」という新しい体験に、不必要にテンションが上がり気味。
友人にメールしてみたりする。
今日まで発熱は無いから、たぶん熱は出ないんだろうと思う。
今朝になって、打ったところを中心に、手のひらで覆えるくらいの範囲が少し熱くなって、痛みがある。しかし、腕を上げられないほどではなく、不便もなく、仕事も普通にできている。
とりあえず良かった。
打たないという選択肢もあるとは思うけど、私は打つことにした。
打てる人が打つことで、打ってない人を守る集団的な効果もあるという。
今は不安より、達成感や安堵感のほうが大きい。
でももう1回打たないといけないんだよね・・・。
今日の東京都の感染者数は、初めて3,000人を超えた(驚)
100人や200人で大騒ぎしていたころと比較すると、すごい数である。
オリンピックもやっている。
なんだか信じられないような世の中を生きている。
これからどうなっていくのだろう、と心配にもなるけれど、仕事には行かないとならないし、できる範囲でできることをやりつつ、冷静に毎日を過ごすしかないのだろう。
私は昼間はマーケティング・リサーチの会社に勤めているのだが、新型コロナが流行り始めてからというもの、打ち合わせはオンライン、というのがめっぽう増えた。
そしてオンライン打ち合わせは、圧倒的にZoomが多い。設定が簡単だからだ。
高校の同窓会である東京玉翠会は、昨年は新型コロナのせいで中止になってしまった。
今も得体の知れないウイルスである新型コロナは、あの頃はもっと正体不明のウイルスだったから、ホテルの大広間に1,000人以上集まる同窓会なんて言語道断で、中止で当然である。
しかし今年は、なんとオンラインでやるという。
Zoomのようなものを想像していた私は、1,000人くらいの人がどうやって話し合うのかと思って、気が遠くなった。
使われたのはZoomじゃなくてSpatial Chatというものだった。
ツールの画面上の距離がそのままお互いの会話の距離になる、新しいツールであるという。
何だかさっぱり分からなかったが、試してみないことには良いんだか悪いんだかも判断できないから、参加してみる。
当日が来て、パソコンでアクセスすると、入り口で受付の人に声をかけられた。誘導されて、自分の学年の部屋(?)に案内される。このようなバーチャルな部屋が学年ごとにたくさんあって、小さな円で表示された「自分」の分身は、マウスを動かすと部屋の中をうろうろする。
他の学年の先輩に挨拶したいな~と思ったら、その学年の部屋をクリックすると、一瞬で飛べる。
実際に歩くよりは体力を消耗しない(笑)
オンラインは省エネなのである。
友達とおしゃべりするには、小さな円で表示された「自分」の分身を「相手」の分身に近づけると、話ができる。
何人かで近づくとグループでの会話も成立し、離れると会話がだんだん聞こえなくなり、すごく離れると全然聞こえない。ああこれが「ツール上の距離がお互いの会話の距離になる」ということか。
なかなか面白いツールだと思う。
同窓会を企画した後輩たちはすごいと思ったし、新しい試みに挑戦する意欲は尊敬した。
オンラインであったとしても、やらないよりやったほうがずっといい。
普段は会えないような、高松にいる同級生の話も聞けた。
今この状況で考えられる最善の策が取られていた、と思う。
でも、二次会まで残るような気持ちには、私は残念ながらなれなかった。
やっぱり、人間同士はお互いに会って話をしたいよね、と思いつつ、一方では、これからは対面とオンラインの併用になっていくのかもしれないな、と思う。
それは仕事でやっている市場調査も似たようなものだ。
何かに固執していては取り残される社会になっていくのだろう。
先日のお香の会は「小草香」でした。
「小草香」は、季節の花なら何でもテーマにして良く、春なら「桜草」を取り上げたりするとのこと。
お香の世界は意外と自由なのですね。
この日は「紅花(べにばな)」が取り上げられました。
紅花はちょうど今の季節の花。
夏至から数えて11日目頃が「半夏生(はんげしょう)」なのですが、米沢ではこの日に一輪だけ紅花が咲き、続いて次々と他の紅花も咲いていくのだそうです。この現象を地元では「半夏ひとつ咲き」と呼ぶのだとか。
しかし今年は半夏生より早く紅花が咲いてしまったらしい。気候変動の影響はここにもあるのだなと思いました。暑くなるのが早くなり、暑い期間が長くなったように感じるのは、私たちだけではないようです。
この日は夏着物で参加しました。
池に見立てたひょうたんと青楓をモチーフにした小紋。実はポリエステルの着物なのですが、柄も気に入っているし、今の時期は雨になることも多いので、とても助かっています。
お香の後は、菊家さんの和菓子で茶話会。
菊家さんのお菓子は、イマジネーションも再現性も素晴らしくて、しかも美味しい。
山形から来た本物の紅花と並べて、写真を撮ってみました。
帰りは、青山にある「紅ミュージアム」を紹介され、立ち寄ってみました。
こんな場所があるなんて知らなかった。
紅ミュージアムは、江戸時代から続く紅屋「伊勢半本店」さんが運営する資料館で、紅づくりの歴史や文化が公開されています。
思いがけず、紅花についていろいろと学んでしまった一日。
昨晩は旧東京音楽学校奏楽堂(上野)で「第1回エルピス声楽フェスティバル」が開催されました。
「エルピス」ってギリシャ語で「希望」っていう意味なんですって。
七夕も近いので、私は「星」や「月」に因んだ曲を選ばせていただきました。
ドビュッシーの「星の夜」、別宮貞雄の「天の川」、マスカーニの「月」、ドヴォルザークのオペラ『ルサルカ』より「白銀の月よ」の4曲です。
言語は4曲全部違いますが、どれも思い入れのある曲で、それぞれの世界観が気に入っており、できれば訳詞を読んで欲しいくらい。
狙ったわけでもないのですが、6月25日は満月で、ストロベリームーンというのだそうです。
私のリハーサルは午後4時くらいからで、その後しばらく時間ができたので、上野公園内をふらふら散歩してみました。
新緑がまぶしく、空気が清々しい。
ちょっとした森林浴気分も味わえます。
噴水のそばまで来ると、赤や白の花が植えられていて鮮やか。
いろんなことがあるけれど、嬉しいことだけカウントして、今は何も考えず、ただただひたすら歌おう。
本番がスタートすると、あっという間にプログラムは進み、終わってしまうのが何だかもったいないような気がしました。
ピアニストは、音も感性も信頼している大野美和さんです。
目標を持って一緒に練習できた日々は、貴重だった。
ドレスは曲のイメージに合わせて、私はミッドナイトブルー、大野さんはダークグリーンを選びました。
コンサートは本番からしか学べないことがたくさんある、といつも思う。
お客様の温かい拍手に支えられ、無事に本番を終了することができました。
久々の、充実感のある演奏会になりました。
このコンサートには、旧知の仲である切敷さんとピアノの高久さんも出演していて、楽屋で会うとホッとしました。
本当は打ち上げをしたかったけれど、「まん延防止等重点措置」でお店が閉まっており、またの機会に、と諦めました。
人と会って話すのは楽しいなと思ったし、また自由に打ち上げられる日が来るといいな。
演奏会用のドレスって、汚れたら皆クリーニングに出しているのだろうか。
私は普段は、本番が終わったらしばらく吊るしておくだけ。
そしてたま~に、ホントにたま~にだけど、自分で手洗いしている。
私の洗い方は、バケツとかバスタブとかに中性洗剤を少し溶かした洗濯液を張り、そこにドレスをバサッと入れて押し洗い。水を2~3回くらい換えてすすいだら、終わり。脱水はしない。
朝洗ってそのままバスルームに干しておくと、夕方にはだいたい乾いている。
ドレスの重みでシワが伸びるので、アイロンもかけていない。
時々色落ちするドレスもあるので要注意だし、キラキラのスプレーを吹き付けたようなデザインのは、洗うとキラキラが取れてバケツの底に沈んでいたりする(笑)
でも、ポリエステル生地で出来ていて、ビーズがいっぱい付いたようなドレスはだいたいこの洗い方でいけている。
女声重唱の時に重宝している白のドレスは、4月の本番の時も着たけれど、裾が汚れていたので洗った。
ついでに、夏の本番に着られそうなライトブルーのドレスも洗った。
さっぱりと洗い上がったドレスを見ながら、嬉しくなったりするんである。
今週末は久々の奏楽堂。
本番があって、それに向けて準備できるのは幸せなことだ。
どのドレスを着ようかと悩んだり、本番のシミュレーションを頭の中でしてみたりするのは、ドキドキするが、ワクワクもする。
皆さん、ゴールデンウィークはどうされていましたか?
私は、美術展にたくさん行く予定だったのですが、都内の美術館は緊急事態宣言のために全滅。
「鳥獣戯画展」も中止、「あやしい絵展」も中止。
悲しい。
美術館なんて、オンライン予約で入場制限しているんだから、「密」になるはずもないと思うのですが。なぜだー。
次いつ見られるかもわからないのに。
デパートも大型商業施設も閉まっていたので、お食事も散財(?)もすることができない。
久しぶりに会った友人とは静かにお茶をしたり、その辺を散歩したりしました。
街には意外と人が多かった・・・。
奈良に行ったつもりの「奈良漬」と、金沢に行ったつもりの「甘酒」を買いました。
着付け教室は開いていたので、少し練習に行きました。
他装(人に着せられるようになる)の練習ですが、新型コロナが流行り始めてからは、他人に着せることが難しくなっています。なので、着付け教室のトルソーちゃん相手に練習です。
トルソーはどんなに時間がかかっても文句を言わないけれど、「苦しい」とも言ってくれないですね(笑)
他装はまだまだですが、練習すると、自分の着付けにも役立つなあ、と思います。
あっという間に季節は廻り、袷から単衣の季節に向かっています。
1年前から2度に渡って延期されてきた服部和彦先生の作曲個展ですが、4月27日ついに催行されました。
東京は4月25日から3度目の緊急事態宣言に入ってしまい、なぜこのタイミングで?とハラハラしましたが、やっても良いことになったようです。
23区内の公共ホールはほとんどダメだろうと予想していたので、ちょっと驚きましたが、出来て良かった。
お客様はいつもより少なかったものの、割と入られていましたし、せっかく演奏する以上は誰かに聴いてもらえないとつまらない。
私たちは「いちめんのなのはなⅡ」(初演)を女声6人とフルートで演奏しました。
大きなホールで歌うと、とても綺麗な演奏だったみたいです。
皆衣装は白。
歌っている側からネタばらしをすると、途中までかなり完璧だったのですが、最後のほうで1小節乱れてしまい、それだけが心残りです。
言わなきゃ分からないんですけどね・・・。
でも、そういうのも含めて、生の演奏の良さなんじゃないでしょうか。いつも同じ演奏が良いのなら、AIに演奏してもらったら良いのです。
演奏しているほうも聴いているほうも、ハラハラするのも音楽の良さです!(笑)
他には、器楽のソロや朗読、オーケストラなんかもあってバラエティに富んでいたので、現代音楽に馴染みのない方でも楽しめたのではないでしょうか。
演奏時は、マスクの下に「マスクの骨」みたいなのを、紐を付けて着けてみました。
これで、大きく息を吸っても口に張り付いてこないので、呼吸が改善。
しかし、マスクをして歌うのは不便ではあります。
「あの時はマスクして歌ったんだよね~」と思い出になる日が早く来ると良いですね。
先週末まで、上野を中心に「東京・春・音楽祭」、略して「東京春祭」が行われていました。
目玉として、指揮者のリッカルド・ムーティ氏が来日し、約2週間に渡ってワークショップやオペラ公演、コンサート等を行いました。その様子は現場ではもちろんのこと、オンラインでリアルタイムに観ることもできたのです。
東京が緊急事態宣言に入る直前のことで、今思うと、この状況下でマエストロが来日できたことも奇跡、毎日公演ができたことも奇跡に近い。
今回取り上げられたオペラは、ヴェルディの歌劇『マクベス』です。
日本人キャストだけの組と、主要役が外国人キャストに代わる組があり、まず作品解説を兼ねた、日本人キャストの公開レッスンからスタートしました。
その後、オケや合唱のリハーサルの様子、そして本番のオペラ公演(今回は演奏会形式)まであったのですが、マエストロ・ムーティの音楽作りや指揮を体感できる、すごい企画だと思いました。
ヴェルディの他のオペラも取り上げてほしいです~。
ムーティの熱烈なファンである友人は、全てを現場で観るために有給を取って休んだと言っていました。
オタク過ぎでは・・・。
私はそういうわけにもいかなかったので、見られる時間帯のみ、原則オンラインで自宅で観ることにしました。
以前音楽仲間の家を訪問したとき、スマホから「JBLのスピーカー」に音を飛ばしていて、なかなか良い音だった。私もあんな感じでパソコンから飛ばしてみようかと。
うちにあった小さいスピーカーを、部屋の真ん中の照明器具にぶら下げたら、音が広がって、ちょっとしたコンサートホールみたい(笑)
想定以上の臨場感になったので、それを聴いて、楽しく最初の数日間を過ごしました。
リハーサルも後半に入り、外国人キャストが加わったころ、音楽仲間から連絡があり、「凄く良いから、本番は是非実演で聴くべき」と言うのです。しかし、スケジュールが。
この時はまだぐずぐずしていて、4月19日のオペラは事前に申し込んであったオンラインで聴くことにしました。
結果、オンラインで聴いても公演のクオリティや熱量がひしひしと伝わってきて、特にマクベス夫人役のアナスタシア・バルトリは声も表現力も素晴らしく、大器を感じさせました。
どうしても生の音で確かめたくなり、4月21日は万障繰り合わせて、東京文化会館へ。
アナスタシアはもちろんのこと、どのキャストも素晴らしく、オケもマエストロの指揮にぴったりついていて、弱音まで美しかったです。
やはり生の音は良いです。波動に身をゆだねることができるので、高揚感が半端なくて、わざわざ来て本当に良かったと思いました。
後々まで仲間と語り合う、歴史的公演のひとつになったんじゃないかなと思います。
脳が興奮したのか、その日は当然、なかなか寝付けませんでした。
4月22日のモーツァルトの交響曲は、オンラインで聴きました。
ムーティ指揮のオケを、自宅でご飯を食べながら聴けるなんて、なんと贅沢なことだろう。
しかも2,500円。
オンラインでもちょっと工夫すると、クオリティが上げられることが分かったので、要研究です。
でも、私はオーディオオタクでは無いので、ちょっと良くなったくらいで充分嬉しいのだと思いました。
いろいろ発見のあった春祭でした。
先週の金曜日は、4月27日本番の六重唱の合わせでした。
服部和彦作曲個展は、2020年の4月にすみだトリフォニーの予定だったのですが、10月に杉並公会堂に延期、さらに2021年の4月に再延期されたのです。
何度も延期になってしまい、主催の国際芸術連盟さんも大変。
今回はやっと公演できそうなので、リハーサルが始まりました。
個人的には・・・1年延びたからといって、自分のパートだけで細々と練習していたので限界があり、仕上がっているかと言われるとそうでもない(汗)
私たちの歌う「いちめんのなのはなⅡ」は初演だそうで、音もリズムもなかなか難しい(難)
練習もマスク、本番もマスク、で歌わなければならず、大きく息を吸い込むとマスクが張り付いてきたりして、なかなか歌いづらい(汗)
この時期、お客様も呼びにくいし、来ていただけるお客様にもホワイエでご挨拶ができない(悲)
このようにいろいろな困難はあるけれども、本番があるのは嬉しいことです。
見知った顔、初めての顔、音楽仲間にも会えた。皆元気で良かった。
目標をひとつにする人達と音楽を作り上げていく過程は、純粋に楽しい。
自分だけで練習していたパートが、パズルのピースのように嵌って、音楽が立体的になっていく。
今回は重唱だけれど、皆ソリストとしても活躍していて、良い声の人達で、そういう人達と同じ空間や時間を共有できることは貴重だと思う。
今週金曜日にもう一度合わせがあって、次は本番です。
一面に菜の花が咲いていて、空にはうっすら月が出ている、そんな幻想的な光景を思い浮かべよう。
徳島からの帰りは京都に寄って、前から行ってみたかった「川島織物文化館」についに行ってきました!
京都駅の観光案内所でチラシを見かけることがあって、「祭の幕」「素敵な帯みつけた」「福を呼ぶ帛紗」・・・など、個人的にストライクゾーンの企画ばかりやっている企業博物館です。
入館料はなんと無料!・・・ではあるのですが、土日祝日がお休みで、予約が必要。
京都駅からはちょっと遠くて、電車とバスを乗り継いで1時間程という場所なんですが、結論から申し上げますと、これはもう、わざわざ行って良かったです!
目の保養になりました。
無料だから展示物もそんなに無いのかな・・・なんて思いながら行ったのですが、それは間違いでした。古今東西の貴重な染織品やその制作過程、それにまつわる資料なんかが多数展示されていて、充実ぶりにびっくりです。
1時間近く掛かって見終わりましたが、館内には他にお客さんはいなくて、めちゃくちゃ贅沢な時間でした。
川島織物さんは、身近なところだと着物の「帯」、他には「カーテン」などで馴染みがあったのですが、ホール(豊洲シビック等)や歌舞伎座の緞帳も手掛けていると聞いて、一気に親近感が増しました。
見学後は、バスで貴船へ。叡山電鉄が昨夏の土砂崩れで部分的に運休しているのですが、そんなことはすっかり忘れていて、どんどん向かってしまいました。
4年半ぶりの貴船神社。奥の院に向かうにつれて、静寂さは高まり、空気は澄んでくる感じです。
木々の緑や川の流れが心地良い。
奥の院までたどり着くと、ベンチでしばらくぼんやりしていました。
またここに来られて良かった。
帰りに、兵衛Cafeさんで「できたてわらび餅」の抹茶セットをいただきました。
お椀に入っているわらび餅を、湯豆腐みたいにすくって食べるのです。
柔らかくて美味しい。
ここにも静かな時間が流れていて、ほっとするひと時でした。
先週末は、久々に徳島に帰り、法要を2件おこなってきました。
新型コロナ感染者数の極端に少ない徳島。東京から出向くのは気が引けて、ずっと控えておりましたので、約1年半ぶりの帰省となります。
このところ、精神的に煮詰まっていた私ですが、法要も含むこの旅が、とても良いリフレッシュになりました。
まず、行きは新神戸から三ノ宮に廻り、地下街へ。
ちょっとレトロな、活気のある商店街です。
思えば、新型コロナが流行り始めてからは、決まったスーパーやネットでの買い物ばかりでした。買い物が作業になってしまっていた。
買い物は、「お金と品物が交換できればそれで良い」という、単純なものでもないのです。(もちろんそれが必要最低限できないと困るのですが)
この日の買い物は何だか面白くて、「関西に帰ってきたなあ」と嬉しくなりました。
徳島に着くと、阿波踊りのシーズン以外は駅前すらもそんなに人が居ないのですが、やはりあまり混んでいませんでした。
「密」を気にしなくてよいので、むしろ快適なくらい。
ホテルもちゃんと感染対策が取られていて、ビニール手袋を装着してではありましたが、朝食バイキングも楽しむことができました。
何とか「日常」に近づこうと、皆頑張っている。
それにしてもホテルは大変です。新型コロナが収まっても、この感染対策は続くのだろうか・・・。
私たちは以前より「潔癖症」になってしまっていて、元通りにはならないような気がします。
帰省すると必ず立ち寄っていた「徳島そごう」が閉店していました(涙)
コロナとは関係なく、閉めることは以前から決まっていて、昨年8月に閉店したんですが・・・。
ビルの中を歩くと、何か工事の途中みたいで不思議な感じがします。
迷路みたいなところを通って、残っている店舗まで行くのですが、寂しくていたたまれなくなり、上階にある紀伊国屋書店で本をたくさん買い込んでしまいました。東京でも買えるのに。
ロフトや無印良品は営業していましたが、このビルの残りのフロアを埋めるのは、なかなか至難の業だと思いました。今後を見守りたいと思います。
桜が咲きかけている小雨の中、法要は無事に終わりました。
煮詰まってしまったら、引きこもって悩むのではなく、何でも良いから出掛けてみるのが良いかもしれません。
日常と少しでも違ったことをしてみる。
そういう意味では旅行はとても良いのですが、今はそれが難しいんですよね・・・。
「旅行」「舞台鑑賞」「飲み会」の3つをいきなり奪った新型コロナは、とても困った存在でしたが、奪われたことによって、自分にとって何が不要不急でなかったのか、再認識させてくれたような気がします。
それらを少しずつ取り戻しつつある今日このごろです。
このところ腹の立つことが多く、あまり精神的に芳しくない日々だった。
発端は、特定の人物に対しての些細なことからだった。
いつもだったら「あの人ならしょうがない」と諦められるはずだったのに。しかし今回は、こちらの精神状態が凹んでいたため、仕事の合間や夜寝る前にその人から受けた過去の仕打ちなどをつらつらと思い出し、イライラしてミスをしたり、クヨクヨして眠れなかったり、ロクなことにならなかった。
挙句の果てに、残高不足で自動改札が通れていないような、何の罪も無い市井の人々のちょっとした行動にまで腹が立つようになってしまい(笑)、これはもうダメだなと思う。
他人を変えるのは難しい。
10代20代の頃は、文句があるときは相手に直接文句を言いに行っていた。
私の「正しい」が相手の「正しい」と異なることも多いから、分かってくれることもあれば、話が平行線のままのこともある。
でも、高校や大学の同級生は、意見が違うことはあっても「ちょっと何言ってるのか全然分からないんですけど」というようなことはなかったと思う。
社会に出てからは、相手が目上の人だった場合など、思ったことをそのまま伝えても、かえってこじれるケースも発生するようになり、その辺は慎重に対処するようにしている。
こう考えることにした。
「人間同士、話せば分かるのではないか」と思うから、腹が立つのだ。
「この人はもしかしたら、別の星から来た宇宙人かもしれない」と思うことにするのだ。
大学時代の友人とか、音楽仲間とか、特に工夫しなくてもコミュニケーションが成り立つ人ばかりと一緒にいると勉強にならないから、神様が学びの場を与えたのだ。
それでも腹が立つときは立つ(笑)
モヤモヤした気分のまま、オペラ鑑賞に出かけたら、なんと隣の席に20年来の友人が座っていた。
待ち合わせをしたわけでもないし、すごい偶然である。
何公演もやっているので、たまたまその日時に、こんな広い会場で、隣同士になるなんて確率はどんなものだろうか。
彼女に愚痴を聞いてもらったら、少し気が楽になった。
やはり人は知り合うべくして知り合っているのかもしれない。
特に何も解決したわけではないのだけれど、苦戦していることも、意味があることだと信じたい。
少し前の話になりますが、着付け教室のセミナーで、「着物のパーソナルカラー診断」をしていただきました。
半襟や基本となるピンク色の他、正絹のドレープ32色を次々と肩にあてていって、似合う色を知るグループワークです。参加者は6名でした。
大学卒業時に作ってもらった色無地の着物、そのうち染め替えたいと思っているのですが、どんな色にしたら良いんだろうかと迷う。それが参加のきっかけです。
アースカラーや濃い色は洋服だと素敵ですが、着物は面積が広いですから、重たくなってしまうような気もする・・・。
着物のパーソナルカラー診断では、最初に半襟をあてるのですが、青味がかった真っ白の半襟よりも、私の場合、少しオフホワイトの半襟のほうが顔映りは良いみたいでした。
基本となるピンクも4種類あててみたのですが、イエローベースの2色がキレイでした。
そういえば、卒業式の色無地もサーモンピンクの柔らかい色で、似合う色の範疇には入っていたわけですね・・・。
あの時はあの時で、若い娘らしいそれなりに似合う色だったのだな~、としみじみ思い、作ってくれた母に感謝。
その後、着物を着ないまま私がどんどんトシを取ってしまい、着られなくなっただけなのでした(涙)
ところで、パーソナルカラーには大きくわけて、スプリング、オータムのイエローベースと、サマー、ウィンターのブルーベースの4つがあります。
その人がどこに属するか、またどの色がどこに入るかはだいたい決まっているようですが、流派(?)もあるようで、洋服と着物でも少し違うような気がしました。
6人診断していくと、皆似合う色が違っていて、その診断を見ているのも楽しかった。
女子はこういうの好きだと思う。
先生と確認しながら、私の似合う色をピックアップしてもらったのが、写真の通り。
着物にありそうな32色の中から選んだので、この他にも似合う色はあるそうです~。
思ったより明るい色や薄い色も含まれていて、意外でした。
洋服だと挑戦しないだろう色も含まれている。
着物だといけるかも。
着物はむしろドレスに近いかもしれない。
自分のパーソナルカラー以外はダメ、というわけではないそうです。
全体的に似合う色ばかりだと、かえって野暮ったくなることもあるので、そういう時は逆に小物に苦手な色を投入してみると良いですよ、という話でした。
ファッションは基本、自分が好きなものを着て、したいようにすれば良いと思うのだけど、着物は独自の世界があるし、自分のことは案外分からなかったりするので、とても参考になりました。
色無地の染め替えは、お金もかかることだし、もう少し迷ってみてから。
猫動画は最強。
普通に歩いたり、エサを食べたり、寝たりしているだけなのに、こんなにいつまでも見続けられる存在なんて、他にあるだろうか。
猫動画を見ていると、子どもの頃に一緒に過ごしていた我が家の猫様の思い出が一気によみがえる。
それは綺麗な猫だった。
いつも一緒に遊んでいた。
私が歌を歌っていると、アップライトピアノの上から飛びかかってきた。
夜は布団の上からいつも私を押さえつけて寝ていて、私は身動きが取れなくなっていた。
仲が良いんだか乱暴なんだか、分からなかった。
猫動画は可愛いけれど、見ているだけでは、だんだん物足りなくなってきた。
神社に居る地域猫に話しかけてみたが、反応がイマイチである。
実際に毛をなでたり、おもちゃで遊んでもらったり、何かを食べさせて咀嚼(そしゃく)音を聞いたりしたい。
かといって、飼うには様々なハードルがある。自分のことだけで毎日いっぱいいっぱいな人生を送っている私は断念した。
・・・というわけで、昨秋ぐらいから保護猫カフェに時々通うようになりました。
保護猫というのは、何らかの理由で飼い主が飼育放棄したり、多頭崩壊から助け出されたりした猫さんたちのことである。
そういうところが世の中にあるのも、今まで知らなかった。
猫を引き取ることができないかもしれないのに行っても良いのだろうか、としばらく悩んだ。
悩んだが、そこで過ごしてカフェ代を払うだけでも支援になると聞き、思い切って電話して行ってみた。
行ってみると、譲渡猫を探している人もいたが、ただの猫好きも多かった。
猫カフェの雰囲気との相性や、そこにいる猫との相性もあるので、他人が良いと言うところが必ずしも自分にとって良いとは限らない。
でも総じて、猫と遊んでいる間は、辛いことがあっても忘れられた。
とある保護猫カフェの猫さん(ミケ、メス)は、他の猫を通りすがりに殴っていくようなヤンキー猫だった。ほとんど野良猫のような路上生活が彼女をそうさせたのかもしれない。人間に対しても警戒心が強かった。
しかし、通っているうちに、私の足の上で香箱座り(上の写真。前脚を胸の下に折りたたむ座り方)をしてくれるようになったのだ。
嬉しい。
こんなことで喜んでいるなんて、もうバカみたいである。
反対に、前行った時は寄ってきてくれたのに、今回は全く相手にしてくれないという猫さんもいたりする。
それでも良いのだ。
だって猫だもの。
今日は節分で、いつもの年より1日早い。
2月2日に節分を迎えるのは124年ぶりなんですってよ、奥さん。
昨晩、食器棚の後ろに落ちたお箸を取ろうとしたら、変な方向に力が入り、食器棚のガラスを割ってしまいました。
何度も引っ越しに耐えてきた棚なのに、こんなことであっさり割れてしまうとは。
結構ショックで、しばし呆然。自分に「落ち着け、落ち着け」と言い聞かせながら、まずスリッパを履いて、大きなガラスの破片をそっと拾い集め、全部揃っているか確かめる。
割れたガラスは紙で包み、細かい破片はコロコロと濡らした古い布でふきとって、一緒に捨てました。
終わってもやり残したことがあるようで、しばらくドキドキしたまま。
すごく長い時間のようでしたが、時計を見ると30分くらいしか経っていませんでした。
そういえば、このところ、小さな「当たり」があって、私は調子に乗っていました。
まず、お年玉付き年賀ハガキの切手シートが6枚当たっていました。
100枚くらい年賀状をいただくから、確率からいうと3枚くらいで合格なのですが、それが6枚当たっていたのだ。いつもの倍である(笑)
次に、茶道教室でくじを引いたら、3,000円の割引チケットが当たりました。
割引チケットには500円、1,500円、3,000円があり、3,000円は少ししか入れていないと受付の人は言う。
約1回分余分に勉強できるのだ。それは嬉しい。
食器棚の件はショックだったが、形あるものは壊れることもあるのだから、仕方ない。
気を引き締めるように、神様のお告げかも。
ガラス戸が半分無くなった低い棚を眺めながら、この際中身の配置も変えて、いらない物を整理しても良いのかもしれない、と思う。
先週土曜日のお香の会のテーマは「節分香」。
節分の豆と升、それにちょこんと梅の花が乗っている、可愛らしい和菓子をいただいた。
そういえば、この日の香りはあまり当てることができなかったな、と思い返す。
いろいろあるけれども、明日は立春。
久々の松濤美術館。
舟越桂氏の「私の中にある泉」を1月31日までやっているのだ。
チラシを飾っている「水に映る月蝕」を見て心惹かれ、是非とも行きたいと思っていた。
題名の付け方も素敵だと思う。
舟越氏の彫刻作品に使われている木材は楠で、初期は眼も同素材だったようだが、途中から眼球のみ大理石が使われ始め、その光は不思議な力を帯びている。
初期の作品にはモデルがいて写実的なのにもかかわらず、どこか抽象的な感じがする。素朴で静かで理知的な雰囲気の人物ばかりなのだが、皆何か物言いたげである。
後半からは、手が背中から生えたり、人間と動物の両方の特性を持っていたりと、異形の姿を取るようになってきた。
しかし、この表現によって何かが解き放たれたようである。
災害後の虚無感、戦争への怒りなども、作品に盛り込まれるようになってきた。
舟越桂氏本人だけでなく、家族の描いたものもあった。芸術家の一家なのだ。木の切れ端で作ったオモチャも展示してあった。
帰りは、神泉にある「ターンテーブル」という徳島県の食材を使ったレストランに立ち寄ってみた。
県産の野菜が丁寧に調理され、おしゃれな空間で提供されていてびっくりである。
ドレスアップした郷里の友人に会ったような気がした。
朝食やランチ、テイクアウトもやっているみたいなので、また来てみようかと思うのだった。
本日は田園調布の音楽スタジオまで出向き、日本とイタリアを結ぶオンライン・マスタークラスを受けてきました。
講師は世界の歌劇場で活躍するソプラノのバルバラ・フリットリ氏。
バルバラにお会いするのは、三年程前に東京でレッスンを受けて以来。
前回知り合ったコレペティの宮川さんが音楽協会を設立され、今回も是非にと声をかけてくださいました!
海外どころか国内すら自由に行き来できない今、オンラインであっても、このような機会に恵まれるということはとてもありがたいことです。
やり方としては、バルバラと宮川さんはそれぞれ別々にイタリア、私とピアニストさんは一緒に居ないと音楽がずれちゃうので東京のスタジオです。
ピアニストさんは今日初めてお会いする方で、普段は新国立劇場にいらっしゃるということでした。
私が持っていった曲は、『トスカ』のアリア2曲(1幕の「私たちのあの小さな家に行きたくないの?」2幕の「歌に生き、愛に生き」)と『シモン・ボッカネグラ』の「暁に星と海は微笑み」です。
何回も歌ってきた曲なのに、間違わないように譜面にしがみついてしまい、情けない…。
暗譜はしてるんですよ、一応。
バルバラの音楽作りは、譜面に忠実で正統派。
オンライン越しとはいえ、細かいところまで良く注意していただき、充実のレッスンでした。
「声もとても良いしテクニックもあるのだから、もっと表現してほしい」と言ってくださったのが、励みになりました。
表現を深めるためにも、バルバラの止まらない楽しいおしゃべりをさらに理解するためにも、イタリア語をもっとやらなくちゃ。
それにしても、すごい時代になりました。
新型コロナで出来なくなったことも多いけれど、オンラインで広がった可能性もあります。
会社勤めをしていると、まとまった休みを取ってイタリアまで声楽レッスンに参加するのはなかなか厳しい。そういうのが少しだけカバーできる気がする。
コロナ騒ぎがおさまったら、イタリアの素敵な湖のほとりなんかで、いつかレッスンを受けてみたいですけどね…。夢かな。
オンラインなので、聴講の人もたくさんいらしたみたいです。
誰が聴いているんだろう、と途中まで恥ずかしかったけど、まあコンサートなどでは平気で歌っているわけだし、歌い手ってそういう自分をさらけ出す仕事なんですよね…。
いろいろ言い訳していますが、自分で受けるのは何より勉強になりましたし、総じて良い一日でした。
年が明けて一週間後、東京にまた緊急事態宣言が出されてしまった。
1月8日の夜の渋谷は、金曜日だというのに随分と人が減り、20時過ぎだというのに、23時くらいの感じだった。
そしてさらに一週間。
在宅勤務では出来ない仕事も多いことが分かったので、結構出社している。
会社帰りにはコンビニとドラッグストアーしか開いていないことも多い。
飲食店の灯りが消えている道を歩いて帰ってくるのは寂しい。
でもそんなことは言っていられないのだ。
知り合いの知り合いくらいで、コロナに感染して大変だった人の体験談を耳にするようになった。
実感の無かったものが急に現実味を帯びてくる。
改めて、気をつけなければ、と思うのだけれど、これ以上何をどうすれば良いのだろう。
1~2月に行われるはずだった友人たちの舞台やコンサートは、時間変更や延期に。
やはり冬に計画するのは危険だったということか。
毎日気持ちがザワザワして、何だか落ち着かない。
そんな中、合間を見て、アーティゾン美術館(昔のブリヂストン美術館)に行ってきた。
所蔵作品の中で心惹かれたのは、3~4世紀頃にシリア付近で作られたとされるガラス工芸たち。オリエントのガラスと呼ばれているらしい。
柔らかな光と色を眺めていると、何千年も彼方にタイムスリップできるような気がする。
現在までには数え切れない厄災があり、戦争もあっただろうに。
今は遠く離れた異国の美術館で、静かに光を放っているガラス瓶たち。
茶道教室に掛けられていた書の言葉も、いつになく心に響いた。
「関 南北東西 活路通(かん なんぼくとうざい かつろつうず)」
炉開きの11月と新年を迎えた時によく飾られるものらしい。
「関」は関所を指していて、ここさえ通り抜ければ東西南北どこへでも自由に行ける、というような意味。
そうだ、私たちはどの道も選択できる。
大丈夫、きっと乗り越えられる日が来る。
地球上で起こったことは地球上で解決するに違いない。