27日は、ごく少人数のお客様限定で、小さなサロンコンサートを開催することができました。
アンコールも含めて10曲ほど歌い、簡単にお話もしました。
「曲にまつわるお話を入れながら、ミニ・リサイタルっぽくコンサートをする」というのは今までほとんどやったことがなかった。自分でも意外。
会場の照明を落とすのも忘れて明るいままコンサートをしてしまい、初めてのことが多くて焦っていたのだなあ、と後から思いました。
「お世話になっている方が老人ホームに入居される」ことになり、「そうなるとこのご時世、自由に外出もできないかもしれないから、その前に私たちでコンサートにご招待しよう」と考えた、というのが今回の企画の始まりです。
終演後の懇親会では、差し入れのワインやチーズ、手作りケーキなどをいただきながら、お客様との楽しい時間を過ごしました。
多様な業界の方たちから直接聞くお話は興味深いものばかりでした。
コロナ禍に入ってから、なかなかコンサートを企画する勇気がなかったけれど、小規模なサロンコンサートならどうにかできそう。会場ややり方を工夫すれば、バリエーションも考えられそう。新しい発想を与えてくれた機会に、感謝です。
ホームに入居されるご当人からは「これが最後の音楽会、と思って来たけれど、こういうことがあるなら、あと10年は長生きしようと思う」とのコメントをいただき、開催して良かったなと思いました。
今年は26日まで昼間のリサーチの仕事でめちゃめちゃ忙しくて、サッカーもクリスマスもなんだか遠い世界のことだったのですが、私にとっても遅いクリスマスプレゼントのような1日になりました。
先日のお香の会は「十炷香」(じっちゅうこう)でした。
いきなり本香が10包焚かれるのです。
この中には4種類の香りがある。
具体的には「一の香」が3包、「二の香」が3包、「三の香」が3包、「ウの香」が1包、講師の先生が包みに入れて準備し、良く交ぜて、参加者全員で聞いていくのです。
難しいわ~。
同じ「一の香」でもいつも同じように香るとは限らない。お香の難しいところでもあり、面白いところです。自然のものなので、同じ香木でも場所によって少し違うんですね。焚く火加減(?)もあるし。
4種類のはずなのに、なんだか6種類以上あったわ(笑)
この日の茶話会の和菓子は「皆既月食」がテーマでした。
和菓子の中に小宇宙が表現されているのです。
いつもながらの美しさと美味しさにうっとり。
そういえば、11月8日の皆既月食では、夜空に釘付けになりました。
オレンジ色に光る不思議な月をオペラグラスで観察しました。
皆既月食と惑星食が同時に起こるのはたいへん珍しいことだそうで、日本で見られた惑星食は442年前(土星食)、今回(天王星食)、次は322年後(土星食)なんですって。
こうやって書いていても、全然現実味がないんですけど、今はとにかく時代の転換期、という気がします。
不思議な時代に生きている気がする。
これからどんな時代になっていくのだろう。
私はこれからどうしていこうかしら。
もう一週間以上経ってしまいましたが、10月30日には外苑前の「梅窓院・祖師堂」にてコンサートに出演しました。
平井秀明プロデュース「“みんなで楽しむ、クラシック!” in 青山」。
西新宿のガルバホール登録アーティストによる演奏会ですが、今回はガルバホールを飛び出して、外の会場で新しいお客様にも聴いていただこうという企画です。
梅窓院は平井秀明さんのおじいさまの平井康三郎氏が眠っている寺院でもあり、そのご縁でこの企画が実現したのだと伺いました。
外苑前にこんなホールがあるの、全然知らなかった・・・。
建築はサントリー美術館や根津美術館を設計した隈研吾氏だそうです。
和のテイストを取り入れたすっきりとモダンな外装です。
ふだんはお寺の催し物に使われているのでしょうか。それにしても良い感じの広さです。
椅子を300席並べてもゆったりしているという話で、入っているピアノも確かベヒシュタインでした。
客席の床が絨毯だったので、声が吸われてしまうのでは、と心配になりましたが、全然そんなことなくて、器楽も歌も良い響きで、お客様と楽しい時間を過ごさせていただきました。
私は『蝶々夫人』や『アドリアーナ・ルクヴルール』のソロ曲の他に、皆で童謡メドレーなんかの重唱もしたのですが、中声や低声を歌うのもハモっている感があって意外と面白かったです。
作曲家の平井康三郎氏は高知県の出身で、「スキー」や「とんぼのめがね」「ゆりかご」などの、教科書に載っているような童謡から、管弦楽や室内楽、校歌まで、たくさん作曲した方です。
子どものころから歌っていた曲を作曲された方のお孫さんと、こうやって一緒に音楽活動をさせていただいているなんて、なんだかとても不思議な気がします。
この日の青山は良く晴れていて、気持ちの良い一日でした。
多くの人と知り合い、多くの体験をさせていただいていることに、感謝しました。
半年くらい、自分自身でもどう消化したら良いのかわからないようなことが起こり、もやもやした日が多かった。
人生に起こることは必然、自分に必要だから起こっているのだ、と言い聞かせても、なかなか前向きな気持ちになれなかったりして・・・。
このところ少しずつ霧が晴れてきて、ようやく自分と自分の日常を取り戻しつつある。
どうやら時間が解決してくれるより他にないらしい。
話は変わるが、コロナ禍になってから自宅で仕事をすることも増えたので、テーブルと椅子を購入した。
それまではちゃぶ台にパソコンを置いてレポートを書いたりしていたのだが、長時間の作業は足が痛くなり、どうも無理があった。
また、気分転換に外のカフェに行くのは楽しいが、お金もかかるし、出かけるためにわざわざ着替えるのもおっくうな時がある。
昨年いろいろなモノを捨てまくり、断捨離方向で進めていたのに、新しい家具を買うのは最初は気が進まなかった。しかし、気に入ったテーブルと椅子は、結果的に在宅ワークを少しマシなものにし、私の気分も良くしてくれたのだ。
コーヒーカップは自分が気に入ったものを1客ずつ購入している。
ゆっくりお茶をいれて、飲みながら考える。
大切にしてくれない人のために時間を割くのは、やめるのだ。
自分を悩ませる結果になる人は、初めて会ったときに何か違和感があったり、その人と何かをしようとすると体調を崩したりで、何故かうまく進まなかったりすることがある。
後から考えると、これは何かの警告とも取れる。
そういうときは、もう無理しなくても良いんじゃないかなと思う。
先週末、高校の同好会のイベントで、屋形船に乗ってきました。
何十年かぶり(!)の屋形船は、風情はそのままで、座席はゆったり。
冷暖房・トイレ完備だし、椅子席なので、地上の飲食店で過ごすのと基本的に同じです。
浅草橋のすぐそばから出ていて、どんどん東京湾を目指す、目指す。
先輩が日本酒のレクチャーをしてくださり、美味しいお料理とお酒のコラボを楽しみました。特に、揚げたての天ぷらがめちゃめちゃ美味しい!
お刺身はあっさりした日本酒に合うし、天ぷらはちょっと濃厚な日本酒に合う。
今まであんまり考えないで飲んでいたのだった。
これからは少し気にしてみようと思う。
東京湾に着くと、しばし漂っているのだけれど、そういう船が何艘も何艘もあり、だんだん日も暮れてきて、見ているのも美しい。
東京の街が夜景となり、ぼんやりと眺めていると、なんだか遠い世界に来たようでした。
ここ2年くらい、大規模な同窓会はコロナのせいでオンラインとなってしまった。オンライン同窓会は甚大な工夫の成果で成り立っているわけで、それはそれで凄いことだとは思うのだけど、何かが違うような気がする。
全員としゃべらなくても良いから、同じ場所で味わう空気感が大事なのでは、と。
どこの同窓会も抱えている問題で、そのうち何か方向性が見つかりそうではあるのだけれど。
そんなことを考えながら、夏の終わりに、しばし大人の夏休み。
先日、京都で「潤いと癒しのリフレッシュ体験コース」っていう定期観光バスに乗ってきました。これだけ見ると、「もしかしてエステ?それとも温泉?」って思うのだけれど、違うよ(笑)!
青もみじと竹林を思う存分堪能できる、素敵なコースでした。結果的に心のエステになったかな。
まず地蔵院。竹林の中に境内がある、細川家ゆかりのお寺だそうです。真っすぐに伸びる竹や青々としたもみじは、それだけで気分を爽快にしてくれます。襖絵のある部屋も、開放的で清々しかった。
一見ハートの形にも見える「猪目窓」がある茶室。ここからの風景を上手に撮るコツを教えてもらって、私も挑戦してみました。
次は鈴虫寺。正式名は妙徳山華厳寺。地蔵院からそんなに離れていないので、歩いて行けました。
平日の日中にもかかわらず長蛇の列で、人気の高さが伺えます。やっと書院にたどり着くと、大音量で合唱する鈴虫たちの声の中、副住職の爆笑「鈴虫説法」がスタート。
まるで落語みたいな面白さなのですが、面白いだけじゃなくて心に染みて、狭量な自分を反省しました。
「お願いごとは“身の丈に合ったこと”でなければなりません」ということなので、その方向に沿ってお地蔵さまにお願いをします。ここのお地蔵さまは、住所・氏名・お願いごとを伝えると、わざわざ家まで来てお願いをかなえてくれるそうです!そのために草鞋を履いているのだとか。
ランチは清凉寺(嵯峨釈迦堂)の中にある「竹仙」で、豆腐懐石料理でした。冷やし豆腐(冬は湯豆腐らしい)は目にも楽しく、こういうお料理を見ると、「日本に生まれて良かったなぁ」としみじみと思うのです。
清凉寺では特に、お釈迦様の体内に絹で作った五臓六腑が納められている、という話が衝撃的でした。
これは当時の中国の僧侶によってなされているので、中国では千年以上も前に人体の内部(いわゆる解剖学)に関する知識があった、ということの裏付けになるのです。レプリカが展示されており、見入ってしまいました。仏像を写実的に、より人体に近づけようとしたのでしょうか。
その他、祇王寺など、今回は洛西で新緑の京都を堪能しました。
青もみじと竹林は写真を撮りすぎて、どれがどこだか分からなくなったくらい(笑)
日曜日のガルバホールの演奏会から、もう5日も経ってしまいました。
日にちが経つのは早いなぁ~。
5/22は、3時間弱の公演が、午後・夜の2公演!!
その前にリハーサル、そして演奏会後には打ち上げもあったわけですから、なかなかハードでしたが、音楽からも客席のお客様からも、たくさんのパワーやエネルギーがもらえた嬉しい1日でした!
5日間経った今でも、何となくその幸せ感は続いていて、コンサートに出られて良かったなぁ、としみじみ思っています。
私は、日本歌曲は平井康三郎氏の「平城山」、オペラアリアは『道化師』から「鳥の歌」、『イル・トロヴァトーレ』から「穏やかな夜」を歌わせていただきました。ピアノの他にヴァイオリン、フルート、クラリネット等が入ってくださったので、響きの良いガルバホールのことですから、まるでオーケストラみたいな、とても贅沢な響きに。器楽の加わった演奏は、私のお客様にも大好評でした!
器楽単独の曲も、何度か聴いているうちに、好きな作品が何曲もできました。
特にクラリネットの二重奏、メンデルスゾーンの演奏会用小品第2番ニ短調作品114は、いつも楽しみに聴いていました。
ここのプロダクションは、平井康三郎氏のお孫さんである平井秀明先生の監修の下、練習時から皆でコンサートを作り上げていく、という方針みたいで、最初はお互いに知らない間柄なので、若干戸惑いました。
しかしこれで、他の奏者の演奏からインスピレーションをもらうことも多くなり、それは声楽どうしのこともありますが、他の楽器だったりすることもあるわけです。
この日は遅くなったので、打ち上げは飲み物を持ち寄り、隣のインド料理店からビリヤニやサモサを取ってもらって、ホールでしました。
こういうアットホームな感じも嬉しい。
そして演奏会後のビールがうまい(笑)
お客様に聴いていただいてコンサートするのはやはり楽しい。おかげさまで元気をもらえました。
今日はコンサートの最終稽古だった。
思えばこの1ヶ月半くらい声が自由にならず、歌う気にならない日々が続いていた。
ここにきて、ようやく戻ってきた感じ。
明日予定どおりコンサートに出られるのなら、それが許されるなら、何も考えず、ただただ歌うことだけに専念しよう。
どんなに人生が思うようにならなくても、片づけなければならない用事が山積みでも、明日だけは全て忘れて、ただただ演奏しよう。
今回のプロダクションは丁寧に練習をさせてくれて、とても贅沢だった。
明日は午前中リハーサルで、午後と夜の2ステージが本番。
長丁場だけど、ちょっとワクワクしている。
このような機会を得られたことに感謝しよう。
近代美人画の巨匠と言えば、「西の上村松園、東の鏑木清方」と言われているそうだけど、ラッキーなことに、この二人の展覧会を両方やっていた。
病み上がりで心が弱っている私は、押し出しの強い西洋絵画とか、どんどん問題提起してくるモダンアートとかは、見ているとなんだかつらいので、今回は日本画。
まず広尾にある山種美術館。
開館55周年記念「上村松園・上村松篁-美人画と花鳥画の世界-」。
ほとんどの作品が山種美術館所蔵なのだ(驚)、借り物じゃなくて。
松園の作品は、とにかく美しく、上品な色気がある。人物の表情もしぐさも、髪の毛も髪飾りも、着物の色も柄も、隅々まで精緻に描かれている。
どんどん近寄って見てしまう。
そしていつまでも見ていられる。
嬉しいことに、「娘」が撮影可となっていたので、載せておく。
針に糸を通そうとしている「娘」の真剣な表情とか、愛らしい口元とか、ほんのり色づいた指先とか、もう萌萌である。
私の好きな「牡丹雪」についても(写真なし)。この作品は、雪だけの空間が広く取られていて、構図的には一瞬「え?」って思うのだが、それがかえって芝居の一場面を切り取っているようで、すごいんである。静止画なのに動画な感じ。
帰りに、1階の喫茶で今回の展覧会をモチーフにした和菓子をいただきました。
「誰が袖」というのを選んだのだが、和菓子も美しく、美味しかった。
そして竹橋にある東京国立近代美術館。
没後50年「鏑木清方展」。
清方のほうは、美人画というだけでなく、その時代の風俗というか、庶民の生活までをも描いている。
人物にしてもその性格まで伺えるというものだ。
お札で見る樋口一葉は、無機質な宇宙人みたいな感じだが、清方の描いた樋口一葉は、意志が強そうで、お札よりちょっと美人だった。
目玉となっていた「築地明石町」「新富町」「浜町河岸」はやはり見ごたえがあって、この3枚が同時に見られるのは嬉しいことだ。
歌舞伎(特に道成寺)を題材にした作品にも心惹かれた。
今回二人に共通して思ったのは、60歳を過ぎてから、素晴らしい作品をたくさん描いているということだった。
円熟期に入り、なおかつ精神的に若くないと、このような色気のある作品は描けないだろうと思う。
2週間ほど前、3回目の新型コロナのワクチンを打った。
ファイザー×ファイザー×ファイザー。
私の場合、1回目2回目とも発熱せず倦怠感程度だったので、スケジュールはあまり気にせず、気軽に打ったのだった。
このところ疲れているし、喉がイガイガするなぁとは思っていたが。
この頃の私は、だいぶ強気だった。
そしたら、打った次の日に身体が熱っぽく、だるい。
測ってみたら、37度台の発熱である。
さらに翌日には咳も出始めたので、この熱はワクチンのせいなのか、風邪のせいなのか、全く不明だった。
熱は1~2日でひいたが、咳が残ってしまった。ごほごほごほ。
街角でやっているPCR検査を受けに行った。主治医には「必要ない」と言われたが、仕事に行ったり人に会ったりする関係上、不安材料は取り除いておきたい。
結果は次の日に出て、陰性(-)。
ちょっと安心したが、それで症状がおさまるわけでもない。
日常生活が送れるのと、人前で演奏できるのとの間には、だいぶ距離がある。
迷った末に、4月14日の豊洲シビックセンターホールのコンサートはキャンセルした。
良いホールだったし、何度もピアニストと練習も重ねてきたのに、残念なことである。
来場予定だったお客様にも申し訳なかった。
こういう時、多少体調が悪くても出来る昼間の仕事(会社)には精神的に救われている部分がある。
夜や週末は、録画したTV番組やネットフリックスを観てだらだら過ごした。
ネットフリックスのコンテンツの充実ぶりには脱帽である。
DVDでオペラを観ようかとも思ったが、歌えないプレッシャーがかかって苦しくなるので、観られなかった・・・。
ゲームをやったり、ネットで無駄な買い物をしたり、もうだらだらである。
そういうのもたまには良いけど、そろそろ元の状態に戻りたい。
そろそろ許してください。
あと、ワクチンを打つのは、少しでも体調に不安があるときはやめたほうが良いのだな、と痛感した。
3月に入ってからは公私ともに何だか悶々とする日々が続き、やたらと日にちだけが過ぎていった。
そんな中でも、友人のコンサートに行ったり、出演もしていない他所のコンサートに打ち上げだけ参加してみたり(笑)、会社に仕事に行ってみたり、家で調べ物をしてみたりと、目の前のことを淡々とこなす日々。
そうこうしているうちに蔓延防止が解除されて、夜飲みに行けるようになった。
こういう普通のことが出来なかったのだ。コンサートの1ヶ月後に打ち上げとか、あれは別の飲み会だと思った(幹事さん、すみません。あれはあれで楽しかったんですよ・・・)。
そして月末を迎え、久々に四国に帰った。
高松市内を歩き回り、土地と自分を繋いでみる。
昔見た風景、昔住んでいた場所。
随分変わってしまったけれど、それでも面影はあって、そういう自分のルーツのようなものと時々は触れ合っておかないと、自分の根っこが揺らいでしまいそうな日々だった。
高校時代の同級生たちが、夕食を一緒に食べてくれ、歓楽街に連れて行ってくれたw
次の朝、泊ったホテルの部屋からは、朝日の昇る屋島が見え、高校時代の校歌を思い出した。
築港まで行き、ぼんやりと瀬戸内海を眺める。
世の中にいろんな海があるけれど、私はやっぱり瀬戸内の海が好きだ。
その日会った方から渡された手土産は、「木守(きまもり)」で、偶然にもうちの両親が好きな和菓子だった。「木守」とは、晩秋の柿の木に来年も豊かに実るよう祈願し、ひとつだけ残された柿の実のことだ。その名を取ったお菓子は、柿餡と和三盆を使った上品な和菓子である。両親は県外から来た客人によくこれを出していた。
徳島に移動する列車の中で、そのことを思い出し、しばらくひとりで泣いていた。
明後日はルーテル市ヶ谷でコンサートだ。
「ホールが開いている限り、なんとか工夫して、コンサートはやろう」と大阪の師匠と覚悟は決めていたものの、オミクロン株の陽性者数がどんどん増えている間は、気が気ではなかった。
メンバーからも問い合わせが来る。
できるの?どうなの?やっていいの?
現在の東京はオミクロン、少し減少傾向。
この時期は雪も降ったりするから、お天気も要注意だ。それもどうにかクリアできそう。
出演者の中でアメリカからなかなか帰国できない人がいて心配したが、その人も元気に帰ってきた。
その他、細かいことも含めると、何だかいろいろあったような気がするなぁ・・・。
コンサートやオペラをやっている時はいつもそうなのだ。
ダンジョンに仕掛けられているトラップや宝箱をひとつひとつクリアしながら進めていく、ロールプレイングゲームのようだ。しかも攻略本は売っていない。
そして、やっとここまできた。
明後日は予定通りいけば、本番だ。
ホールで演奏できることは幸せである。
ホールは楽器だと思う。明後日のルーテル市ヶ谷は、歌うとどんな感じなんだろうか。
ソロの曲も楽しみだけど、師匠と歌う重唱も超楽しみである。
本番でしか得られない高揚感もある。
こんな時期なので、たくさんのお客様に声をかけることは出来なかったけれど、それでも新規で来てくださる方もいて、ちょっとワクワクする。
新規の方からさらに新しいご縁が広がっていったりもする。
大変な中、飽きもせずこんなことをやっている私は、やはり音楽が好きで、それを届けたいのだと思う。
1月22日土曜日の午後は、すみだトリフォニーで「Raffiné New Year Gala Concert」でした。
私たちは小ホールだったのですが、大ホールでは佐渡裕さん指揮、反田恭平さんのピアノという、新日本フィルのすごい演奏会が!(聴きに行った人によると実際すごい演奏会だったそうです)
ミーハー根性で、大ホールの人たちに会えないかと思っていたのですが、楽屋口からの動線がそもそも違うのでした・・・残念(笑)
それでも同じ場所で同じ時間帯に音楽をしているんだと思うとテンションが上がりました。
小ホールは252席とこぢんまりとして歌いやすく、響きもとても良いホールです。
リハーサルをしていると、音が隅々まで染み渡っていくようで、「ホールで歌えるのは嬉しいことだなあ」としみじみ幸せな気分になりました。
当初、出演者は6人の予定でしたが5人になり、私の直前の方は伴奏ピアニストが変更になっていました。本人が新型コロナでなくてもご家族等が濃厚接触者になったり、その他やむを得ない事情があったりして、舞台に立てないことはあります。
そう考えると、この日この時間に演奏できるということは、それだけでも貴重なこと。
コンサートに出演するほうもですが、聴きに来るほうにとっても、です。
生の演奏は、本番では思いもよらないことが起こったりもしますが、それも含めて「かけがえのない体験」。本番を経ることによってしか身につかないことも、たくさんあると思います。
一旦収束に向かったかに見えた新型コロナですが、オミクロン株の出現によって、また様々な制限が出てきてしまいました・・・。
コンサートもどの時期にやるかが賭けで、昨年11月~12月くらいにできた公演は、ある程度収まっていたときだったので(感染症対策はしているものの)普通にやっていて、逆にこれから2月3月の公演は開催自体を協議しながら進めないといけない、ということになってしまいました。今だと宣伝はしにくい。でも延期したとしても、そこが必ずしも現時点より良いとは限らない。悩ましいところです。
すみだトリフォニーから錦糸町までの帰り道では、スカイツリーが良く見えまして、22日の夕方は、江戸紫と金色を基調にした「雅」でした。
スカイツリーのライティング情報によると毎日変わるらしい。
2月24日もすみだトリフォニーには、また演奏に来る予定です。
先週末は祖父(50回忌)と伯母の法要で徳島に帰っていました。
久々の徳島です。
ですが、このところ東京でオミクロン株の陽性者が急増していることもあって、親戚の参列は無しにしました(悲)
ちょっと重かったけれど、江戸小紋と黒の不祝儀用の帯を持参し、着付けてからお寺へ。
冬晴れの、寒いけれど気持ちの良い一日。
空は青くて広くて、名前は分からないけれど鳥が飛んでいる。
ご住職と私だけの静かな法要です。
それでも、着物で出掛けると、「きちんとした感」が出て、良かった。
祖父は50回忌まで私ができた。
こうやって一仕事終えると、ホッとします。
次の日は大阪で用事があったので、歩を進めたほうが良いと思い、三ノ宮まで移動して宿泊。
淡路島を通過するたびに思うのですが、夕陽の時間帯は心が穏やかになります。
三ノ宮のホテルではグルメマップをもらったのですが、満席だったり、お休みだったりで、なかなか夕食の場所が決まりません。
今晩はテイクアウトかコンビニかなあ、と思いながらさまよった挙句、たまたま訪れた洋食屋さんは、レトロな雰囲気がとても素敵なお店でした!
オススメは豚カツだということで、それをいただいたのですが、これがまた美味しかった。
祖父と伯母からのプレゼントだったと、勝手に思っています(笑)